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米国留学生第一号!ウガンダのエイズ遺児、米国スミス・カレッジに合格!

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合格の知らせを聞いてテラコヤの子どもたちと共に喜ぶヒルダさん

 24日早朝(ウガンダ時間)、あしながウガンダの米国留学候補生のナルワンガ・ヒルダ(20)が米国のスミス・カレッジに見事合格しました。

 スミス・カレッジ(マサチューセッツ州ノーサンプトン、ボストンから西に約160㎞)は米国名門女子大学7校(通称:セブン・シスターズ)のうちの一校で、全米リベラルアーツ大学の中で20位にランクしている評価の高い大学です。1875年創立の歴史ある大学でロナルド・レーガン元大統領夫人のナンシーさん、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領夫人のバーバラさん、風と共に去りぬの作家マーガレット・ミッチェルさんらを輩出しています。

 ヒルダは昨年4月にあしながウガンダで米国留学候補生に選ばれてから、毎日9時間以上のSAT(大学進学適正試験)、IELTS(英語能力試験)の勉強に励んできました。米国のインターン生たちのサポートを受けながら、ここまで勉強した成果がついに実を結びました。2014年9月から、スミスカレッジの全額奨学金で通うことになる予定です。

 ヒルダは合格の一報に、
「合格のニュースがまだ信じられません。今回良いニュースを受けることができたのは、あしながさんのお陰です。会ったこともない、私のような学生を応援してくれて、本当にありがとうございます!アメリカではあしながの大使として、一生懸命勉強します。渡航まで残りの時間は寺子屋の生徒たちに本を読むことの面白さを伝えたいです。」と新しい学びの世界へ決意をこめて語りました。

 ヒルダは96年に父親を亡くし、専業主婦だった母が養鶏や養豚をしながら4人の子どもたちの面倒を見てきました。母の兄弟も次々に亡くなり、母親は彼らの子どもたち含め、一人で8人の子どもたちの面倒を見ており、家庭は今もひっ迫しています。そんな母の姿を見ながら育ったヒルダは母思いの、責任感が強い学生です。少しでも母のためになればとアクセサリーを作る内職を始め、学費や生活費を補ってきました。今では、同じ立場の若い人たちの役に立ちたいと教会で同世代の女の子たちにアクセサリー作りを教えています。あしながウガンダでも活発に活動しており、若い世代の女子学生たちのロールモデルとなっています。

 今日は嬉しいニュースにあしながウガンダ全体が祝福ムードに包まれています。今回の結果で、今は厳しい環境にいる後輩遺児たちに勇気を与えたいというヒルダの今後にご期待ください。

(2014年1月24日 記者:山田優花)



コラボレーション音楽会「世界がわが家」鑑賞申込み受付開始!

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 あしなが育英会とヴァッサー大学(米国ニューヨーク州)は今年の3月、アフリカ、アジア、北米、ヨーロッパの四大陸を音楽で一つにする特別共同公演「世界がわが家」を開催します。ウガンダの現地NGO「あしながウガンダ」が運営する“寺子屋”で基礎的な教育を受けている子供たちによる歌と踊り、ヴァッサー大学コーラス部(聖歌隊)のメンバーによる合唱、2011年3月11日に発生した東日本大震災・津波によって壊滅的な被害をこうむった東北地方の子供たちによる伝統的な和太鼓演奏が披露されるこの公演を演出するのは、「レ・ミゼラブル」や「ニコラス・ニクルビー」などのブロードウェイ・ミュージカルを演出しトニー賞を受賞した有名な英国人演出家、ジョン・ケアード氏です。

 この空前のイベントは、小説「あしながおじさん」の著者ジーンウェブスターの母校であるヴァッサー大学と、今も読み継がれているその小説から名前と着想を得た「あしなが育英会」の間に強まる協力関係のもと、両者が踏み出す新たな一歩を象徴するものです。今年は、1914年にブロードウェイでミュージカル「あしながおじさん」が初演されてから、ちょうど100年になります。

 本公演、「世界がわが家」は、あしなが育英会が現在取り組んでいる親を亡くしたアフリカの子供たちの支援をするプロジェクト(アフリカ遺児教育支援)に関連していますが、「すべての子供に教育を(教育の機会の大切さ)」というあしなが育英会とヴァッサー大学が共有するより壮大なビジョンにもとづいて行われます。同時に、東日本大震災で亡くなった方たちの鎮魂と被災した方々を少しでも励ましたいという思いも込められています。他では見る事のできない素晴らしいエンターテイメントと感動が詰まったこのイベントにぜひ足をお運びください。

鑑賞ご希望の方は下記事項をご確認の上、メールにてご連絡ください。

1.仙台公演 

会場 東北大学百周年記念会館 川内萩ホール

日程 2014年3月13日(木)

開場 18:00 開演/閉演 18:30/20:00


2.東京公演

会場 新宿区立新宿文化センター 大ホール

日程 2014年3月20日(木)

開場 18:00 開演/閉演 18:30/20:00


「コラボレーション音楽会「世界がわが家」鑑賞申込み受付開始!」の続きを読む

ウガンダエイズ遺児、米国大学工学部に合格!

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 ウガンダから、また嬉しいニュースが届きました!

 米国の大学で工学を学びたいと勉強を続けていたセンゲンド・ジョセフ(21)が、工学部で名高い、米国インディアナ州のヴァルパライソ大学に見事合格しました。

 先日スミス・カレッジに合格したヒルダ同様、ジョセフも2013年4月から米国の大学進学を目指してひたすらに勉強を続けてきました。理系が弱いと言われているアフリカで、ジョセフは高校の卒業試験(UACE)も理系で受験をし、好成績を残しています。今回、米国の大学を受験する際もSAT(大学進学適正試験)の教科テストで「生物」、「数学」、「物理」をインターネットや参考書で独自に勉強して、この成果を勝ち取りました。

 ジョセフは「米国で工学を学べることを非常に嬉しく思います。ウガンダでは工学の定義が広く、人材が不足しているため、無計画な道路や建物が目立ちます。私は工学の中でも機械工学を勉強したい。ウガンダの産業がこれから発展するときに、工学デザインができる人材が必ず必要になり、私はその分野でこの国に貢献したい。」と意気込んでいます。

 お母さん  ジョセフ

 ジョセフのサクセスストーリーを語るときに欠かせない人物がいます。それは彼のお母さん(義理の母)です。実母を亡くしてからというもの、ジョセフはしばらく祖父のもとに預けられていました。それを知った母が、「あしなががあるから」とナンサナに引き取り、これまで実の子どものように育ててきました。食べ物が買えない時も、学校から追い出された時も母親は諦めず、子どもたちを支えてきました。

 彼が大学に提出した小論文「私が大人になった瞬間」には以下のように書かれています。

 「16歳のころから、私は家族を支えるため、学業の傍ら洗車などの仕事をしていました。ある日、母親が急に不調を訴え、どうしても働くことができなくなりました。原因は、私たちを支えるため15年間続けてきた夜警の仕事による過労です。回復には3か月の静養が必要でした。
 その間、夜警の仕事での部下2人がお金をごまかすのではと心配する母のために、私は母の夜警の仕事を引き受けました。母からは夜強盗と闘ったときの話をたくさん聞いていましたし、母の部下は自分よりずっと年上です。ウガンダでは年長者を敬う文化がありますので、初めて仕事に行ったときはとても緊張していました。
 しかし、取り分をごまかされないためにはたとえ年長者でもきちんと話をしなければいけません。母はいつも私に「落ち着いて、勇気をもちなさい」と教えてくれました。母のことを考えると緊張はしていられないと思い、私は彼らにしっかりと回収したお金を渡すように指示しました。そのお陰で、その日私は家族を支えるだけのお金を持って、朝帰宅することができたのです!その瞬間、自分が家族を支えられるだけの大人になったのだと実感しました。」(抜粋)

 この小論文から、彼がいかに母親のことを大切に思い、母親がこれまでどれだけの苦労をしながらここまで育ててきたのかがうかがえます。

 「母とあしながさんがいなければ今の私はありません。いつの日か母親にもあしながさんにも幸せを感じてもらえるよう頑張ります」とジョセフは決意を語りました。

 ジョセフが併願受験している大学についても、今後結果が分かります。まずは希望する工学部に合格できたことをあしながウガンダファミリー一同、心から嬉しく思います。

(2014年2月5日 記者:山田優花)


虹の心塾 初代海外留学生2人が卒塾ー神戸

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卒塾生を代表して“答辞”を涙ながら堂々と述べるジュリアスさん

 あしなが育英会が神戸で運営する大学生寮「虹の心塾」で、2014年2月9日、第15回卒塾式を行い関西学院大学国際学部で学ぶアフリカのウガンダ人留学生、セグッジャ・ジュリアスさん(25)とナバノバ・アイリーンさん(24)が5人の塾生らとともに巣立ちました。虹の心塾で二人は初代海外留学生。様々な困難や試練に立ち向かいながら塾での生活や学業に励んでいました。その結果、見事にジュリアスさんは日本の大手自動車メーカーの内定を、アイリーンさんは難関・京都大学大学院の合格を勝ちとりました。二人ともエイズで親を亡くし、母国での苦難・苦境やこれまでの努力の汗と涙を一言で語ることはできません。

 式では玉井義臣会長/塾長が優しいまなざしで見守るなか、ジュリアスさんは「ウガンダのナンサナ村という小さな町で生まれた僕が、今こうして感謝と決意の答辞を読むのは本当に奇跡です」と卒塾生を代表し答辞を涙ながら堂々と述べました。玉井会長は「ジュリアス君。キミは歴代心塾リーダーのチャンピオンだ。日本語は上手い、人を騙さない、決して投げない。百数十回の就職活動で、大手自動車メーカーを陥落させた。能力を天までのばせ。期待しています」「アイリーンさん。公衆衛生を学んでアフリカのために生きてください。人生はワークハードのみ。期待しています」と二人を高く評価し、ジュリアスさんと固い握手と抱擁をすると、参加者一同は万雷の拍手で彼らを見送りました。

(記者:峰島里奈・田中敏)

 ジュリアスとアイリーンが卒塾した。

 これまでお世話になった先輩が卒塾するとき、彼らは日本語で感謝の意を込め涙ながら送辞を読んだが、今回は卒塾生代表としてジュリアスが答辞を読んだ。自分のこれまでの道のりを振返り、未来への決意を語った。彼らは自信に満ち溢れ、堂々した姿で後輩達にエールを送った。

大学合格に歓喜するジュリアスさんとアイリーンさん= 2009年10月1日・関西学院大学

 09年10月1日、関西学院大学国際学部合格発表の日。合格が決まり、二人は涙を流し抱き合い喜んだ。その姿が今も鮮明に浮かぶ。「新たな人生」をもがき苦しんでつかんだ瞬間だった。
 
 ジュリアスは90年に両親を、アイリーンは01年に父親をエイズで亡くした。日々生きることに必死な状況が続いた。現地NGOあしながウガンダと出会い、あしなが育英会が催した世界の遺児との交流会に参加するため、05年、07年にそれぞれ来日。他国の遺児仲間と出会い「同じ悲しみを抱える仲間がいる。自分も懸命に勉強しよう」と励まされた。そこから人生が変わった。
 
 10年4月、関西学院大学から特例で学費全額免除をいただき、いよいよ大学生活がスタート。家族・親戚からの大きな期待を背負い、自らも大きな希望を抱き来日。しかし、何もかもが初めての日本語での生活は苦労の連続だった。大学で学ぶということ、電車に乗り大学に通うこと、慣れない日本食、規律のある学生寮「虹の心塾」での日本人との生活、文化の違い。「虹の心塾」では彼らは留学生としてパイオニアであり、そのぶん苦労も多かった。挑戦の連続であった。

“答辞”後、玉井塾長はジュリアスさんと固い握手をし抱きしめた

 ジュリアスは、12年度、ウガンダ・エイズ遺児の教育支援をする「あしながPウォーク」で関西代表を務めた。日本語の上達が早く、関西弁も操る彼であったからこそ務めることができた。彼の人懐っこさは会話の上達に更に磨きをかけた。エイズ遺児として自分自身の経験を参加者に伝えた。彼の姿は多くの人に勇気を与えた。その経験が「就職活動」にも活きた。「不慣れな日本と日本語で約180社に涙を流しながらエントリーした就職活動。お金も無かった。何度も諦めようと思った」が、塾生や職員の支えもあり、日本人大学生と同じ条件で内定を勝ち取った。13年夏の1カ月間、毎日早朝に起き頑張った「インターンシップ」の経験から得たことも大きい。内定を得たとき、「ついにやったぞ~!」という彼の雄叫びが「虹の心塾」に響き渡った。

 14年4月より正社員として日本の大手自動車メーカーで働く。あしなが育英会で、日本の大手企業で働く留学生第1号となる。「日本の社会と母国の社会は全然違います。不安がいっぱいです。でも負けずに今までの2倍チャレンジして仕事をしながら技術を学びたいです。そして、いつか母国に帰り現地の皆に伝えたいと思います。自分の成長のためだけではなく、日本で学んだことを活かして、ウガンダの色々な問題を解決し母国を発展させたい。今この瞬間、学校に行けず勉強もできないアフリカの子どもたちの人生にも自分と同じような“奇跡”をおこしてあげたい」と決意を述べた。彼のチャレンジし続ける闘志はこれらも燃え続ける。

玉井塾長から“卒塾証書”を受けとるアイリーンさん=2014年2月9日

 アイリーンは、13年7月京都大学大学院医学研究科の合格を見事つかんだ。

 この4年間様々なことがあった。楽しいことももちろんあったが、思うように物事が進まず一人トイレで泣いたこともあった。でも、「辛かったことはそんなにないな。留学生と日本人同士の喧嘩は日常茶飯事。それはあって当然のこと」と彼女は振返る。それは、ある日本人女性の先輩との出会いがあったことが大きい。生活習慣の違い、文化の違い、数えきれない程喧嘩した。それでも先輩は諦めず何度も自分に向かってきた。その姿に、自分も言われたことを考え理解しようとした。そして、自分の考えを伝えようとした。その結果、永遠に消えない信頼関係を得た。今は彼女のことを「お姉さん」と思っている。本当に心から辛かったのは「家族と会えないこと」。アフリカはウガンダと日本の地。なかなか会えず、連絡も取りづらい。それは悲しかった。家族のことがただひたすら心配だった。それは今でも変わらない。ウガンダに一時帰国した際、母親からもらった「あなたは私の誇り」という言葉。その言葉が彼女を今も支え、突き動かしている。
 来日2年後の12年2月12日、アイリーンさんは「にしのみや留学生日本語スピーチ大会」(主催:公益財団法人西宮市国際交流協会 共催:西宮市)に挑戦した。「一緒にエイズと戦いましょう」というタイトルで堂々とした姿でスピーチし、見事、特別賞を受賞した。エイズ予防という夢を実現するため、大学院に進むことを決意した。どうしたら合格を勝ち取れるか。大学の先生には自分の夢を伝えどの科目を履修したいらよいか相談した。学生寮の職員にも相談した。

 辛いときは何が一番の支えになったかという記者の問いに、彼女は「周りにいる人にとにかくよく相談したことだと思う」と答えた。沢山の人からアイディアをもらい、そこから自分で考え選択し計画を立てる。ジュリアスもそうだが、アイリーンも人との繋がりを大切にした。その結果、合格を勝ち取った。彼女自身の努力は想像に難くない。大学院に行きたいと決意したときから、彼女は諦めず、着々と粘り強く物事に取り組んだ。
 アイリーンはよく笑い、日本食も好む。唯一、納豆が好きな稀有な留学生である。一時帰国から帰ってきた彼女が味噌汁を飲んで「美味しい~!これよね、これ」と言っていたことが懐かしい。日本を愛し、母国ウガンダを心より愛する。「自分と同じ辛い思いをする子ども達を一人でも減らすため日本で社会疫学の学位を取り、将来国際的な機関でエイズ予防のための啓もう活動と撲滅に従事したい」と夢に突き進んでいる。「初めて訪れ生活した外国“日本”という国で、努力し、良い結果を出せたことが一番嬉しい」。自信を得た彼女はどこまでも飛躍するだろう。


 社会に旅立とうとしている今、彼ら二人の未来には更なる困難が待ち受けている。しかし、これからが本当の勝負の時だ。自信をつけた彼らに大いに期待したい。

(記者:峰島里奈)


小説「あしながおじさん」新訳、発売!

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 あしなが育英会が、ご支援くださる方達を「あしながさん」とお呼びするきっかけとなった物語が、3月初旬に発売されます!!

 原作は刊行100周年を迎えましたが、原作者ジーン・ウェブスターの描く主人公ジルーシャの生き生きとした姿は色あせることなく、時代を超えて読む人の心を惹き付けます。孤児院で育った少女は、あしながおじさんに月に一度の手紙を書くことを条件に勉学の援助を受け、大学生活を通して成長していきます。授業や友達、夢のこと。楽しい話題だけではなく彼女が抱える悩みや孤独、社会に対する不満……。手紙の話題は尽きることがありません。感情豊かに、ときにユーモアにとんだイラストを交えながらジルーシャは手紙をしたためます。

『あしながおじさん』

発売日:3月初旬予定
ページ数:252ページ
判型:小B6判(112×174mm)
ISBN:978-4-907421-00-7
定価:800円(税抜き)
出版:ピアソン・ジャパン株式会社 

 ウェブスターの母校、米国ヴァッサー大学から日本の読者へ、新訳版が出版されることへのお祝いのメッセージと著者紹介も特別に今回の書籍のために寄せていただきました。在学中から執筆活動をはじめ、孤児や女性が教育の機会を与えられることの大切さに強い関心を抱いていたウェブスターは『あしながおじさん』を1912年に出版。舞台化・映画化されるベストセラーとなり、売り上げは、慈善活動の一助とされました。『続あしながおじさん』を出版した1915年に結婚しましたが、翌年39歳の若さで亡くなりました。ジルーシャの物語を通してウェブスターが作品にこめたメッセージは、世代を超えて読者の共感を得られることでしょう。

 翻訳は、ミュージカル『ダディ・ロング・レッグズ〜足ながおじさんより〜』の翻訳・訳詞を手がけられた今井麻緒子さん。今までの児童文学というイメージを払拭したい、という思いから、この『あしながおじさん』は高校生以上を対象としています。かわいらしいラブストーリーというイメージとは少し異なる、新しい魅力の発見があるかもしれません。子どものときに読んだことがある人も、題名またはあらすじは知っているけれどまだ読んだことがない人も、ぜひこの機会に手にとってみていただければと思います。

 なお、この本の売上金の一部はあしなが育英会に寄付されます。ぜひ書店でお求めください。


あしなが育英会・ヴァッサー大学・Jケアード氏のコラボコンサート「世界がわが家」の内容発表記者会見

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*日時:2014年2月25日(火)午後3時~
*場所:国際文化会館
*出席メンバー:
ジョン・ケアード (舞台演出家・脚本家)
ジョン・ミヘイリ (ヴァッサー大学同窓会 専務理事)
玉井 義臣    (あしなが育英会会長)
音無 美紀子   (女優)
今井 麻緒子   (通訳・訳詞)

 このコンサートは、あしなが育英会(本部東京、玉井義臣会長)と米国のヴァッサー大学(NY州、キャサリン・ヒル学長)の共催であり、小説「あしながおじさん」刊行百年を記念して企画されました。さらに英国の演劇界のトップランナー、ジョン・ケアード氏が加わり、本年3月の初演を迎えるに至りました。初演に先だって記者会見を開き、コラボコンサートの内容をお伝えするためにケアード氏を中心に各社からのインタビューの場を設けました。

◆ジョン・ケアード氏の発言

 1年半前、初めて玉井あしなが育英会会長に会いました。シアタークリエで「ダディ・ロング・レッグズ」(あしながおじさん)というミュージカルを上演したのがきっかけです。チャリティー上演の場合、ロンドンやブロードウェイで毎回公演終了後にお金を寄付してくださいというと20%くらいのお客様が寄付してくださるのですが、その時東京では、公演後にすべての方がお金を寄付してくださいました。お客様は高いチケットを買っているのに、その上に寄付をしてくださり、全公演(2週間半)を合計すると寄付金だけで700万円を超える金額を得ました。日本の方々の優しさと寛大さを実感し、感動しました。その時、あの津波の直後だったことも関係していたと思います。 津波の被害者の子どもたちを助けたいという強いお気持ちがあったのだと思います。

 その時玉井さんと知り合ったわけですが、その後彼はアメリカのロサンゼルスまで私に会いに来てくださり、「世界中の若者たちが集まって何かをしたらどうか」と提案しました。玉井さんには、あしなが育英会を日本だけのものではなくて国際的なものにしようというお考えがあります。特にアフリカの遺児教育支援に焦点を当てておられます。その根底には「世界は若者たちにかかっている」という考えがあります。現代世界の抱えている諸問題、例えば飢餓やエイズ、環境問題、そして人口が増え続けている問題等・・・考えてみますと、世界中で懸念されている諸問題はある意味アフリカに全て集約されている感があります。そして、この諸問題は決して解決不可能なものではないはずです。先進国と第三世界が共同で何かをすれば解決できるものです。先進国の人間はすでに「世界の問題が、どこか他の場所で起きているのではなく、まさに自分たちの場所で起きているのだ」ということを自覚していると思います。それは決して無視できることではないのです。アフリカの飢餓やその他の政治的な問題も、すべて世界に影響する時代になっているのです。
この公演では、東北の遺児とアフリカの遺児達が一緒にパフォーマンスをし、そしてさらに裕福な子どもたちであるヴァッサー大学の子供たちが加わることで、他の文化をお互いが享受しあい、お互いが自分たちの側の物語を語りあうという状況が生まれます。歌を通して、ダンスを通して、太鼓を通して自分達が経験した悲惨な出来事を語る時、目を覚まさなくてはいけない世界に、目を見開く機会を与えることができるのです。

 「世界がわが家」という題名は、ジーン・ウェブスターの「あしながおじさん」の小説の中からとっています。彼女が描いた素晴らしいヒロインであるジルーシャ・アボットは彼女の人生を孤児院でスタートしますが、やがて「あしながおじさん」の助けにより、貧しかった彼女が、大学に行きます。(小説の中のこの大学は、明らかにジーン・ウェブスター自身が学んだヴァッサー大学がモデルになっています。)この大学生活の中でジルーシャは自分よりも恵まれた子供たちに出会い、だんだんと外の世界に目を開き、自分が経験したひどい過去を忘れていきます。両親がいないこと、家族がいないことはもう忘れていい、無視していいと思った時に彼女が口にするのが「ついにわたしは世界がわが家だと感じるようになった」という言葉なのです。ひとりぼっちだった彼女が、ようやく私には世界が自分の家なのだと思えるようになったということです。

 太鼓をたたく子どもたちの中には津波で親を亡くした子たちがいます。ウガンダから来る子供たちも、片方の親、あるいは両親ともをエイズでなくしています。そういう子供たちが、いずれ「世界がわが家になった」というように感じられるようになったら、どんなに素晴らしいことでしょう。子供たちが、きちんと教育を受けて成長し、やがて自分を取り巻くこの世界というのは、そのように寛大に自分たちに教育の場を与えてくれた場所なのだと感じるようになって欲しい。彼らの中の何人かは、いつの日か世界のリーダーになっていくかも知れません。ジーン・ウェブスターのように小説を書いたり、ジャーナリストになったり、作曲家になったりと様々な形をとるでしょうけれども、彼ら自身が、世界をより良い場所に変えていく人物になっていくかもしれないのです。

 去年、もう一つのプロジェクトが始まりました。新訳版の「あしながおじさん」の出版です。私の妻(今井麻緒子氏。ピアソン・ジャパン社3月発売。印税の一部があしなが育英会への寄付。)が訳したのですが、今までと違う全く新しい訳です。これも我々のプロジェクトの一部であり、読者に新しいバージョンを届けようというものです。

それでは、コンサートの内容についてちょっとお話したいと思います。

 このコンサートでは若者たちが、全く違う3つの国から、それぞれ全く違うものを持ち寄ります。一つは、和太鼓。東北の若者である彼らはこの半年間、太鼓をずっと練習してきました。みっちゃん(佐藤さん)という素晴らしい先生の指導のもと、かなり高い水準まで練習を積み重ねてきています。この東北の子供たちは、「太鼓をたたくことによって津波で経験した思いを発散できる」と言います。彼らの胸の内の悲しみや混乱を、太鼓をたたくことで表現できると言うのです。

 ウガンダから来る子ども達は、素晴らしいダンスを披露してくれます。あしなが育英会はウガンダのナンサナにある「レインボーハウス」で遺児達に、金銭面のサポートだけでなく心に受けたダメージを癒す精神面でのサポートをずっと続けています。精神的な傷を治療する際に大事なことは、彼らに自分たちの考えていることをいかに外に出させるか、表現させるかということです。歌を歌うことであったり、ダンスをすることであったり、詩を書くことなどによって何かを表現するということが心の傷を癒すのです。この子ども達は、親を失って様々な被害をこうむり、さらに貧困に苦しめられています。けれども、踊ったり、歌ったりするととたんに、喜びを爆発させます。そこには、魂の叫びという、ものすごい動機が存在するわけです。

 打って変わってヴァッサー大学の合唱団は、洗練された音楽を聞かせてくれます。彼らが歌うものは、クラシックや、コーラス、アメリカのフォークソング、そして、ミュージカルのダディ・ロング・レッグズからアレンジしたものも歌います。さらにウガンダの子供と東北の子供たちにもこの音楽を教え、一緒に歌います。ウガンダと東北の子供たちは、一緒にドラムもたたきます。数日しかリハーサルの期間はありませんが、彼らが違う文化を持ち寄り共演することに意味があります。コンサートが進んでいくにしたがって、舞台はパーティのようになり、最後はステージの上ですべての子どもたちが共にダンスをし、ドラムをたたき、歌を歌います。いわば、最後に、お互いの間にある、文化の壁を壊していくのです。

【質疑応答】(J・ケアード氏との間のものを抜き出しました。)

記者:朝日新聞です。今回参加される各子どもたちの人数を教えてください。

― ヴァッサー大学は20人です。31人のウガンダの子供たちと16人の東北の子供たちがいます。東北の子供たちは少ないですが、音は一番うるさいと思います。(笑)ウガンダで練習した子供たちを誰一人として置いていきたくなかったので、こういうメンバーになりました。東北の子供たちは十代半ばから二十歳くらいの子供たちがメイン。ヴァッサー大学の子供たちは大学生なので19歳から23歳くらい。ウガンダの子供たちはもっと幅が広く、7歳くらいから15歳くらいまでです。何人かはものすごく才能のあるダンサーです。
 この子どもたちの間には、きっと素晴らしい交流が生まれると思います。

記者:ケアードさんは被災地に足を運ばれたことはありますか?

― はい。行っております。太鼓をたたく子ども達に会いにいっています。去年の7月、津波の被害にあった町を全部見てきました。非常に悲しい気持ちになりました。コミュニティが津波によってこわされ、まったく姿形が残っていないのを目の当たりにしました。

記者:先ほどコンサートでダディ・ロング・レッグズの劇中歌を演奏されるとお聞きしましたが、それ以外に何か決まっていましたら教えていただけますでしょうか。

― ダンスも一緒にする予定ですし、最終的には観客席からも子どもたちを呼んだりしようと考えています。小説の中で、孤児であるジルーシャが、あしながおじさんに手紙を書くときに、「私よりももっと助けが必要な女の子がいる」ということを手紙に書く素晴らしい場面があります。その時「自分だけが可哀そうなのではなく、自分よりもっと可哀そうな人がいるのだということに目が向いた」ことが、重要なポインだと思います。孤児たち、子供たちを世界中から集めることの意義は、彼らに「今あなたに起こっていることはあなただけに起きているのではなく、世界の他の部分でも起きているということを自覚してほしい。それは世界に共通する悲しみ苦しみであり、地球の裏側にいる人たちも同じ目にあっている。 しかし、我々はそれを共有することができ、それによって世界中が自分たちの家となる。」ということを伝えるということにあります。

記者:音無さんがナレーションということですが、どういう形でナレーションが入っていくことになるのでしょうか。

― いきなりダンスや歌のコラボレーションをお見せするのではなく、「あしなが育英会とヴァッサー大学がなぜ繋がったか」ということの説明が必要だと思います。この二つの団体が同じような目標をもっているということを説明したいのです。世界規模の教育を考え、貧しくて教育を受けられない子たちへの思いを共有していること、それが世界の問題を解決していくことにつながるということ、それがナレーションを使うことによってよりうまく説明できると思います。ビジュアル的にもそれを見せていこうと思っています。

 このコンサートの中で、仙台からきた作曲家が作曲した曲も演奏されます。「はせくら」という曲で、伝説的な話から題材をとっています。400年前、津波があった後にある男の人(支倉常長)が、ボート(木造帆船?)をつくって他の国に、その話を伝えようとボート一つで行くという、それは美しい話だと思います。なぜなら自分たちに起きたことによって、うちにこもるのではなく、外に出て行こうという素晴らしいメッセージのある歌だと思っています。ウガンダのナンサナにある寺子屋に見に行ったときにインスピレーションを受けたのです。ミニバスでスラム街の中をドライブしていき、信じられない貧困を目にしました。これはあまりにもひどい。助けることなどできやしない。道路もなくゴミだらけで、子供たちは洋服もなく汚い状態で走りまわっていました。ところが、あしなが育英会の運営する寺子屋に着いて中に入ったとたん、50人60人のウガンダの子供たちが、日本の規則正しい教育を受けているのが見えました。まるで日本がそこにあるみたいでした。それを見たとき、「ああ、こうして彼らを助けることができる。彼らの人生を変えることができる。時間はかかるかもしれないが不可能ではない。小さなことから、日本ができることから、日本だからこそできることからやればよいのだ」と確信したのです。


 東北を訪ねたときに、2000人以上の遺児ができたと聞き、それが心に刺さりました。子供たちと話すと、両親をなくしていてもいなくても、津波の影響をものすごく受けていることを感じました。絶対に誰か近くの人、友達の誰かとか、誰かしらをなくしている。つまり、その近辺に住んでいた人は全てトラウマを背負っているのです。


 玉井さんと私が最初にアメリカで話したときは、ヴァッサー大学とウガンダの子供たちだけというアイディアでした。アフリカとアメリカをつなごうという考えがもともとだったのですけれども、その時僕はすぐに「ここには欠けている子供たちがいるぞ」と言いました。日本のグループがアフリカとアメリカの子供たちだけをつなげるというのはちょっとおかしい気がしたのです。このコラボレーションの大事な点は、あしなが育英会がどこから始まったかということを常に念頭においた方がいいと思ったのです。なぜならこれは、玉井さんが考えたものすごく日本的なアイディアなのですから、日本の子供たちを抜きには考えられないのです。あしなが育英会がどういうものかを世界に拡げていくためには、日本の子供たちが一番大切だと思います。

 実はこのコンサートは、私としてはこれからも続けていきます。毎年行われるイベントにしていったらいいのではないかと思います。例えば、このコンサートをニューヨーク、ワシントンで行なうつもりです。玉井さんはパリでもウガンダのカンパラでもやろうと考えておられます。もしも日本の子供とアメリカの子供が第三世界であるアフリカにいくということができたら、素晴らしいことではありませんか。今年はアフリカとアメリカの子供たちに日本での生活がどういうものかというものを見せたいと思います。そしてこの共有を完成させるためには、お互いがお互いの文化をみせていかなくてはいけないと思います。

 今回は英語、日本語、ウガンダ語、その3か国語が使われますが、ヴァッサー大学の子供たちはラテン語でも歌います。この先、例えばセネガルだとフランス語もまじってきます。すごくわくわくします。子供たちは、違う言葉で違う文化のパフォーマンスをするのがどういうことかというのを学ぶことができます。いつか(音無)美紀子さんが、草のスカートをはいて踊ることがあるかもしれません。(笑)
ぜひ楽しみにしていてください。

◆あしなが育英会・玉井会長から一言

 発表時間が1時間と限られていたため、主として演出家ジョン・ケアード氏に十分な時間を取り、このコラボの内容について詳しく聞きたいという記者の要望にお応えしました。
しかし、大切な問題を積み残しています。

 この先どうするかについて、ケアード氏は「これは最初の第一歩で、2015年度以降も演劇化も視野に入れて、毎年世界各地で継続して講演したい。」と望んでいます。

 とりあえず、2015年にはワシントンDC,NY,LA,東京、パリまたはロンドン、ウガンダのカンパラで公演可能かをあしなが育英会-ヴァッサー大学で検討中です。

初演の仙台・東京公演は、あしなが育英会がNGOであるために収益事業ができないので、
入場無料としました。しかしながら、今回のコラボコンサートのために、そしてこれからこのコラボレーションを継続させるために、是非ともみなさまのご寄付をお願いしたいと覆います。そこで、会場に募金箱を置くと同時に、会場にお越しになれない方のために下記振込口座を開設しました。

*振込口座
     郵便振替口座:00150-3-734125
     「あしながアフリカ遺児教育支援」宛

本コンサートの趣旨にご賛同くださる皆様のご芳志を、心よりお待ちしております。


仙台レインボーハウス竣工式~津波遺児のための癒しの家が遂に完成~

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 あしなが育英会は、3月1日(土)、仙台市五橋で、津波遺児たちの心の傷を癒す家「仙台レインボーハウス」の竣工式を行いました。
津波遺児とその保護者、全国で街頭簿金に立ったあしなが育英会の学生、ファシリテーターと呼ばれる「心のケア」のボランティア、東北レインボーハウス建設プロジェクトへのご寄付者、工事関係者など約200名の方々を迎え、神道に則った約一時間の式が滞りなく終了すると、引き続きセレモニーが行われました。

 まずあしなが育英会の藤村修副会長(前内閣官房長官)が挨拶し、「たくさんの国内外の皆様にご支持、ご支援をいただいてきたあしなが育英会が、東北の拠点である仙台においてレインボーハウスを立派に竣工することができました。この後はこの建物に魂を入れていき、実績経験を活かしながらあしながの職員、そしてファシリテーターと呼ばれるボランティアの皆さんの力をお借りして、被災後10年間は皆さんと力を合わせて、全力で子供たちへの心のケアを推進します。」と述べるとともに、本会が今後、このレインボーハウスをすべての地元の人々に開放し、地元の人々が中心になって東北の子供たちがもつ諸問題に取り組み続けるという玉井会長の方針を再確認しました。

 次に津波遺児や保護者の代表が作文を朗読しました。岩手県大船渡市の小学五年生の男子生徒は、「レインボーハウスでは楽しく遊んだり、色んなことをしたいです。いろいろな人や会社から寄付をもらってあしなが育英会がレインボーハウスを作ってくれました。陸前高田にもレインボーハウスができるのが楽しみです。レインボーハウスを作るのに関わってくれた皆さんに、本当に感謝しています。ありがとうございます。大切に使いたいと思います。」と元気な声で作文を朗読しました。

 また、仙台市に住む、津波で夫を亡くした3歳児の母親は、「娘がこれから、父親がいないことを理解していく中で、成長とともにいろいろな気持ちを経験するでしょう。小さくして親を亡くすというのは、私たちには想像できないほどつらい経験だと思います。一人でも多くの遺児にこの場所に出会ってほしいと思います。そして友達をたくさん作って、楽しい時間を過ごしてほしいです。」と仙台レインボーハウスに期待する気持を語りました。

 奥山恵美子仙台市長は、「このレインボーハウスがまさにその名前の通り、子供たちの心の虹になって、被災した子もしなかった子も、これから生まれてくる世代もともにその虹の橋を渡って、未来につながっていけるような、そんなところとなるように仙台市も教育委員会を挙げて応援していきたいし、またそうする責務があると受け止めています。」と祝辞を述べました。

 2011年4月1日、あしなが育英会は仙台市に東北事務所を開設し、同年3月11日に発生した東日本大震災・津波で親や保護者が死亡した、もしくは重度の障害を負った子供たち2083人(2014年1月末現在)に、一人あたり2,821,964円の使途自由、返済義務のない特別一時金を給付しました。また、本会は阪神淡路大震災後、神戸に日本で最初の心の傷を癒す家「神戸レインボーハウス(虹の家)」を建設し、震災遺児たちの心のケア活動を18年間行ってきました。この度は神戸以上に深刻な被害であることを考え、東北でも長期的な遺児への心理的なサポートをするべく、宮城県仙台市と石巻市、岩手県陸前高田市にレインボーハウスを建設することを決定しました。未曽有の大災害で突然親を亡くした子供たちは、時間が経つにつれて心に様々な問題を抱えることが予想されました。ケアの事業を軌道に乗せるためには1日でも早い完成が望まれることから、工期の短縮化を目指して2012年12月に専門学校が利用していた既存の建物と土地を購入、2013年6月30日に地鎮祭を執り行い、7月から本格的に建設をスタートし、2014年3月1日、ついに竣工式を迎えました。
 
 「仙台レインボーハウス」には研修室、会議室、ラウンジ、キッチン、食堂、浴室のほか、おしゃべりの部屋、遊びの部屋、子供たちがストレスを発散できる火山の部屋などが作られています。全国の津波遺児を対象に行う宿泊プログラム、子供たちに寄り添うボランティア(ファシリテーター)の養成講座、遺児とその家庭に関する研究・調査、全国への情報発信のために利用されます。あしなが育英会東北事務所も兼ねており、東北の各地に建設中のレインボーハウスの中核を担います。既存の建物に隣接する遊戯室兼体育館を新築し、平日は一般市民に開放することも検討しています。

 竣工式の前に報道陣の質問に答えたあしなが育英会東北事務所の林田吉司所長は「今日来てくれている保護者や子供たちにとって仙台レインボーハウスの竣工はうれしいことですが、3月11日のあの災害を忘れずに、これからも活動していきたい」と今後の決意を述べました。

 2013年は東北レインボーハウス建設プロジェクトのためにいただいたご寄付が累計で44,739件、総額47億1740万円となり、宮城県仙台市と石巻市、岩手県陸前高田市と大槌町か山田町4 か所の東北レインボーハウスの建設費及び5年分の運営費として目標としていた41 億5 千万円を達成することができました。そのため2014年3月末をもって建設プロジェクト募金の受付を終了します。ご支援いただいた皆様に心より感謝申しあげます。

 なお、目標金額を超えたご寄付については、6年目以降の東北レインボーハウス運営費に大切に充てさせていただきます。


今回の竣工式のために 下村博文文部科学大臣から次の祝電が送られました。

お祝い
あしなが育英会 会長 玉井義臣様

 あしなが育英会仙台レインボーハウス竣工式のご開催誠におめでとうございます。多くの方々のお気持ちを頂戴し、今日の日を迎えることができお喜びもひとしおのことと思います。今後は震災を乗り越えた子供たちの心の支えとなり、大きな夢をはぐくむ支えとなる事でしょう。お支え下さる周囲の皆様への感謝の気持ちを忘れず、良き世界へ飛び立てるよう心身ともにたくましく成長していかれますことにご期待申し上げ、御臨席の皆様のご健勝を祈念し、お祝いの言葉といたします。

文:飯塚洋記者
撮影:八木沼卓


東日本大地震・津波遺児支援へのご寄付についての報告 (2014年3月7日更新)

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 平素より、本会の東日本大地震・津波遺児への支援活動に対し、深いご理解と継続的なご支援を賜り、厚くお礼申し上げます。
 東日本大震災から間もなく3年目を迎えようとしております。本会はみなさまからのご支援により、被災地での遺児支援活動を続けてまいりました。この3月には心のケアセンターの第1号が完成し、さらに本格的な活動を開始いたします。つきましては、これまでにいただきましたご寄付と使途、今後の活動につきまして、以下の通りご報告申し上げます。

 本会は震災の2日後に津波遺児への特別一時金の給付を決定いたしました。スピード感と機動性、実行力を発揮したことで、国内外から大きな評価をいただきました。奨学金の貸与、心のケアのための活動費用と合わせて、「あしなが東日本大地震・津波遺児募金」を行ってまいりましたところ、ご寄付総額は2014年1月31日現在、61億6692万9079円(24万6459件)となりました。
 このご寄付から「使途自由・返還不要」の「特別一時金」として零歳(新生児を含む)から大学院生までの2082人に一律282万1964円を給付し、またお亡くなりになられた遺児1人に200万円を給付いたしました。このほか、自宅が被害を受けた遺児奨学生への住宅一時金として1人あたり30万から50万円を168人に給付いたしました。これまでの一時金の給付額は合計59億3382万9048円となりました。

 東日本大地震・津波遺児とそのご家族にとっての、短期、長期の支援、出会い、交流の場であり、同時に遺児たちに寄り添いケアする“ ファシリテーター” を養成する拠点として、仙台、石巻、陸前高田にレインボーハウスが間もなく完成します。
 2014年3月1日に仙台レインボーハウスの竣工式を行い、3月末までに石巻、5月に陸前高田レインボーハウスの完成を目指して建設工事を進めております。
 「あしなが東北レインボーハウス建設募金」のご寄付総額は2014年1月31日現在、47億7702万6604円(4万5399件)となり、目標としていた41 億5千万円を上回るご支援をいただきました。
つきましては、2014年3月末をもって東北レインボーハウス建設募金へのご寄付の受付を終了させていただきます。ご支援いただいたみなさまに心より感謝申しあげます。

 2014年4月以降につきましては、新たに「東日本大震災遺児支援募金(仮称)」を設置させていただきます。この募金へのご寄付は、返還不要の特別一時金の再増額、心のケア活動、教育支援など、レインボーハウス建設費用を除く、東日本大震災遺児支援全般に使わせていただきたいと存じます。
 引き続き、みなさまのご理解、ご支援を心よりお願い申し上げます。



コラボレーション音楽会「世界がわが家」初演、仙台公演大成功!

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 あしなが育英会とヴァッサー大学(米国ニューヨーク州・小説「あしながおじさん」の著者ジーン・ウェブスターの母校)は、2014年3月13日、秋篠宮殿下と長女の眞子内親王殿下にご臨席いただき、アフリカ、アジア、北米、ヨーロッパの四大陸を音楽で一つで結ぶコラボレーション音楽会「世界がわが家」(At Home in the World)の初演を東北・仙台市で共催しました。約3年かがりの実現で、「あしながさん」を含む約1100人の方々がご来場くださいました。ありがとうございました。

 公演は、ウガンダの現地国際NGO「あしながウガンダ」が運営する「寺子屋」で、読み・書き・計算の基礎的な教育を受けている子どもたち31人による愉快でエネルギッシュなダンス、ヴァッサー大学コーラス部(聖歌隊)22人による情緒あふれるエレガントな合唱、東日本大震災遺児を含む被災地の子どもたち13人による伝統的で勇壮な和太鼓演奏……、これら歌と踊りの大河のような流れにあやなすように、遺児たちの亡き父や母を想う作文朗読が絶妙にミックスされた構成。

ミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ」から「ミスター女の子嫌い」はじめ3曲、佐藤三昭作曲の「HASEKURA」はじめ3曲、ブガンダ伝統舞踏「チガンダ」と「アマグンジュ」、菅野よう子作曲・岩井俊二作詞「花は咲く」など全12演目を披露しました。うっとりした溜息が、大歓声と拍手が、そして、すすり泣きが交互に会場に満ち溢れ、1時間30分の公演は瞬く間に終わりました。秋篠宮さまと眞子さまも演奏や合唱が終わるたびに惜しみない拍手を送られていました。

 演出は、「レ・ミゼラブル」や「ニコラス・ニックルビー」などのブロードウェイ・ミュージカルを演出しトニ―賞を2回受賞した英国人演出家のジョン・ケアード氏。女優の音無美紀子さんの温かなナレーションで舞台は進行しました。ケアード氏、音無さんともにボランティアでのご協力です。

 教育の価値と必要性を深く認識しているヴァッサー大学生、極貧から脱出するために最も教育を必要としているウガンダの遺児、そしてつい3年前の2011年3月11日、家族も家も思い出も一瞬にして失い、悲しみと孤独と不安の中で仲間との絆を渇望していた東日本大地震・津波遺児がまさに明日に向かってひとつになりました。遺児たちの国際的連帯の効用が如実に証明されました。また、被災地での公演もあいまって「観客」と「舞台」もひとつになった、奇跡ともいえる音楽会になりました。

 秋篠宮さまと眞子さまは、公演前、津波遺児たちの心の傷を癒す家「仙台レインボーハウス」をご訪問され、津波遺児たちと保護者ら80人と交流されました。眞子さまが公務で被災地を訪問されたのは初めてです。

午後4時すぎ、秋篠宮さまと眞子さまは仙台レインボーハウスにご到着。玉井義臣あしなが育英会会長や堀田力副会長らがお出迎えし、東北事務所職員の案内で、「おしゃべりの部屋」「火山の部屋」「遊びの部屋」「多目的ホール」など館内をご見学され遺児や保護者らの話に熱心に耳を傾けられました。積み木で遊んでいる遺児らに眞子さまは「すごい、見てもいいですか」「作るのが大変だったでしょう」とお声をかけてくださり、秋篠宮さまは「どれくらいの頻度で(レインボーハウスに)来ていますか」「どうやって遊んでいるの」などと御質問されました。

 午後5時すぎ、公演会場(東北大学・川内萩ホール)にご到着された秋篠宮さまと眞子さまを、玉井会長とともにキャサリン・ヒルV大学学長、ウィリアム・プラピンガV大学理事長らがお出迎えしました。本番直前のリハーサルもご観賞され、舞台上で、ジョン・ケアード氏や、出演するあしながウガンダ寺子屋キッズ代表のサラ・ナマクラさん、同じくマトヴ・リーガンさん、V大学コーラス部代表のエイシア・ハワードさん、東北和太鼓隊代表の牧野陽紗さんらにお声がけされました。

公演パンフレット(PDF)

 「世界がわが家」は、あしなが育英会が現在取り組んでいる親を亡くしたアフリカの子どもたちの支援をするプロジェクト(アフリカ遺児教育支援)に関連していますが、ヴァッサー大学の「すべての子どもに教育を(教育の機会の大切さ)」という壮大なビジョンにもとづいて行われています。同時に、東日本大震災で亡くなった方たちの鎮魂と被災した方々を少しでも励ましたいという思いも込められています。この近代稀なイベントは、小説「あしながおじさん」の著者ジーン・ウェブスターの母校であるヴァッサー大学と、今も読み継がれているその小説から名前と着想を得た「あしなが育英会」の間に強まる協力関係のもと、両者が踏み出す新たな一歩を象徴するものです。今年は、1914年にブロードウェイでミュージカル「あしながおじさん」が初演されてから、ちょうど100年を迎えます。

 東京公演は14年3月20日、新宿文化センターにて18時開場、18時半開演です。ウガンダキッズ、ヴァッサー大学コーラス部、東日本大震災遺児らを含む和太鼓隊は東京公演に向けて、連日連夜、あしなが心塾レインボーハウスで猛練習しています。仙台公演での圧倒的な盛り上がり、出演者も観客も涙を流しながら手をつないで一体となったあの感動が、新宿でも再現されることはまちがいないでしょう。そして、だれもが、この公演が世界各地で開催されることを願わずにはいないでしょう。「あしながアフリカ遺児教育支援100年構想」のキックオフ(啓発広報活動)は大成功したといえます。また、あしなが育英会は、ヴァッサー大学はじめ、世界の“賢人”や“達人”(その道を極めた人。スポーツ・演劇・芸術全般の人びと等)と、大学、団体と協力し、「100年構想」実現に向けてまい進していきます。人間の、人生の喜怒哀楽を表現しながら、3国の子どもたちが奏で舞う。世界をまさに一つにする東京公演は、ケアード氏の修正を加えながら仙台公演を越えることは間違いないと思います。皆様のご感想をお寄せいただければ、今後の参考とさせていただく所存です。

(あしなが育英会会長 玉井義臣、画像撮影:渋谷敦志氏、八木沼卓氏)


「世界がわが家」東京公演も大成功!

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 あしなが育英会と米国ヴァッサー大学共催のコラボレーション音楽会「世界がわが家」(At Home in the World)の東京公演は、2014年3月20日、18時半から新宿区立文化センター大ホールで開催され、約1600人の感動の涙を誘い大歓声と満場の拍手を浴びて大盛況で終了しました。

アンコール。3国の子どもたちはまさに一つになった。中央は、ヴァッサー大学合唱部クリスティン・ハウレット監督

 開演を知らせる序曲は、東日本大震災遺児らの和太鼓「意会」(佐藤三昭作曲)とウガンダの「王族のドラム」の合奏。夏祭りを連想させるような軽快なリズムが会場を包みました。女優の音無美紀子さんのナレーション「あしながおじさん物語」の紹介で開演。ヴァッサー大学聖歌隊(コーラス部)による「ミスター女の子嫌い」(ミュージカル「ダディ・ロング・レッグズ」=ジョン・ケアード/ポール・ゴードン作)、「確かなること この輝く夜に」(ジェームズ・エイジーの詩より、モーテン・ローリドセン作曲)、「幸せの秘密」(ダディ・ロング・レッグズより)と、清らかでロマンチックな歌声にうっとり。「いま、あしながさんの愛が最も必要な子どもたちのいる国があります。それは、アフリカ!」と音無さんのアナウンスと同時に舞台は真昼のように明るくなり、ウガンダキッズが民族衣装で登場、速いドラムのリズムに乗って激しく腰をゆする野性味あふれた愉快なダンス「チガンダ」(ブガンダ伝統舞踏)で、会場は沸きに沸きます。

 続く「シンプルでいる才能」(シェーカー伝統聖歌)と「レクイエム」(イライザ・ギルキソン作曲)は、ウガンダキッズとヴァッサー大生の合唱。ウガンダキッズは全く知らなかった欧米音楽を、ウガンダに1か月滞在したヴァッサー大学音楽学部・合唱部監督のクリスティン・ハウレット准教授に教わり、今日のために猛練習してきたのです。みごとな歌声、その健気さに涙がこみ上げます。

貴重な太鼓の由来を説明した伊藤健人さん

 続いての和太鼓チームによる「HASEKURA」(佐藤三昭作詞作曲)の勇壮な演奏で舞台のムードが一変します。この曲は仙台藩士・支倉常長がモデル。支倉は伊達政宗より命を受け「慶長遺欧使節団」を率い、愛船サン・ファン・バウティスタ号で石巻・月の浦を出向しヨーロッパに渡り、貿易交渉しました。未来を自分の手で切り開こうとワークハードした支倉の「志し」「考動力(考え行動する)」。演目は、震災で奇しくも石巻市は最大の犠牲者を出し、生きながらえた演者を含む地域の未来を切り開くため、希望を子どもたちに受け継ぐために我々を奮い立たせます。今の日本の若者も、悲しいときこそ世界へ出て国際的に活躍すべきと伝えているようです。そこにヴァッサー大生の高らかな歌声がみごとに練り合わされ、熱い血潮がこみ上げてきます。そして、津波遺児・伊藤健人さん(大2)の「和太鼓によって悲嘆を超えて前向きになった」という震災からのこと、「この和太鼓は津波で破壊された家の瓦礫で作られたのです」という説明に聴き入り、出演者と満場の観客は震災で犠牲になった多くの方々のご冥福を祈り黙祷を捧げました。

日下マリアさんを支える音無さん

 次の和太鼓「ねがい」(佐藤三昭作曲)では、津波遺児・日下マリアさん(高3)の作文朗読が織り込まれました。地震で崩れる家屋を目の当たりにした恐怖、家族の安否を確認できない不安、母親の死を知ったときの深い悲しみ。しかし今、夢を持って生きていくという誓いを涙をこらえながら一生懸命に朗読する日下さんの肩を、音無さんが励ましながらやさしく抱きます。だれもみな溢れる涙を抑えることができませんでした。ここで再び、悲しみを吹き飛ばすようにウガンダキッズのダンス「アマグンジュ」(ブガンダ伝統舞踏)。歓声と拍手が鳴り止みませんでした。

 いよいよ、音楽会は終盤。音無さんは、小説「あしながおじさん」から始まるあしなが育英会の軌跡を振り返り、国内外約9万人の遺児の進学をなしえたのは「あしながさんのお陰です。ありがとう、あしながさん!」と声高らかに舞台から感謝を伝えました。そしてウガンダキッズ、ヴァッサー大生、和太鼓チーム合同で「目を閉じたとき」(ジム・パプリス作詞作曲)、「花は咲く」(岩井俊二作詞/管野よう子作曲)が歌われ、最後の「チャリティー」(ダディ・ロング・レッグズより)では、客席から玉井義臣あしなが育英会会長とジョン・フェローヴァッサー大学学長補佐がウガンダキッズらに手をひかれて登壇し感謝の挨拶をのべました。玉井会長のスピーチは下記のとおりです。

フィナーレで謝辞述べる玉井会長。左端はジョン・フェロー氏、(一人おいて)ジョン・ケアード氏

 2011年12月、私はヴァッサー大学のキャサリン・ヒル学長に「作家ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』刊行百年記念に、ヴァッサー大の若者とウガンダのエイズ遺児を同じ舞台にのせて何か創りませんか」と提案したところ、間髪入れず「OK!」という返事をいただきました。歴史的瞬間でした。そして、世界的演出家ジョン・ケアード氏に「アフリカの極貧の子と世界で最も家系的にも教養的にも恵まれた若者が一緒に舞台を創れないか」と口説きました。初日の交渉では手ごたえを感じませんでしたが、翌日、ジョンの目が鋭い光を発していました。非常な熱意が感じられました。ここから具体的に急進展して行きます。

 さて、ジュディ・アボットのような孤児が今世界に2億人いると言われています。私たちは、半世紀かけて「あしながさん」を増やし、日本の遺児を励まし進学を支援してきました。そして2000年から約10年間は、世界的な災厄によって遺児となった子どもたちを日本でのサマーキャンプや心のケアのつどいに招待し続けました。その子どもたちが大学生の年齢になったので日本の大学への留学制度を創ったところ、今日までに、40人の日本留学が実現しました。現在は、この地球上で最も貧しい地域とされている(世界銀行調べ)サブサハラ49か国の遺児を毎年一人ずつ世界の大学へ留学させ、母国の発展に貢献する人材を育成する「あしながアフリカ遺児教育支援百年構想」実現のため、支援者を募り組織づくりを急いでいます。今年初めて、アフリカの遺児3人が米国の大学トップ100に合格し、「百年構想」の突破口を切り開きました。私たちの「あしなが運動」の究極の目的は、“やさしさ”を集めて、世界の貧困を削減することにほかなりません。本日、このコラボ音楽会はその大きなキックオフとなりました。ありがとうございました。

 アンコールではジョン・ケアードさんはじめメインスタッフも加わり、「幸せの秘密」を大合唱。アフリカ、米国、欧州、日本がひとつになった、奇跡のコラボ公演の実現を目の当りにして感動した観客の皆様は熱い拍手を送り続け、しばらく席をたとうとしませんでした。仙台公演に引き続き、東京公演はさらにグレードアップされ余韻を残し大成功で閉幕しました。

舞台を鑑賞する野田佳彦前首相(中)と藤村修あしなが育英会副会長(右端)

 終演直後、会場内で感想を伺いました。野田佳彦前首相は「舞台を観て、鳥肌がたつほど感動いたしました。子どもたちへのメッセージというよりも、今夜の舞台は、我々大人へのメッセージと受け止めました。日本でも本当に教育の機会が奪われている子どもたちがいますが、世界では、特にアフリカでは沢山いる。その子どもたちが人生を切り開いていくために教育は本当に大切だと思います。その事の大切さを今日は改めて体感させて頂きました。あしなが育英会のあゆみは、藤村修あしなが育英会副会長(前内閣官房長官)から伺っており、私自身も“遺児と母親の全国大会”に出席したこともありますが、今日ほど体感したことはなかった。日本、アメリカ、ウガンダ(アフリカ)による合作でとても感動的に学ぶことができました。このような機会を頂き感謝しています」と述べました。

 童話作家の東菜奈さんからは「ウガンダの子ども達、本当に、本当に、本当に素晴らしかったです。最高でした。命の輝きを感じました。あの笑顔からほとばしるエネルギーは、まだまだ輝き足りないとでも言いたげで、とても頼もしいですね。あしながスタッフの方々の努力の賜物と、感激しながら拝見いたしました」とのメールが寄せられました。

 また、あしなが奨学生OBの渡邉文隆さんは「今回のコラボ音楽会は、100年前、小説あしながおじさんに始まった、“遺児のための教育とケア”という大きな物語を見せてくれました。心を打ったのは、舞台の美しさだけではありません。それは、この物語の真ん中にいる子どもたち一人ひとりが一生懸命に生きる姿であり、50年以上にわたって遺児のために働いてきた玉井義臣会長という人のひたむきさであり、そして何よりも、観客席にいる自分たち自身が、その物語の一員である、ということでした。映画やドラマでつくられた物語とは全く違いました。自分の人生と地続きで繋がっている、大きな物語への感動でした。僕は、中学3年生で遺児になりました。今回の音楽会は、自分の人生が、『遺児のための教育』という物語を紡いできてくれた何十万人もの人々と共にあったのだ、ということを教えてくれました」と語りました。

舞台後半、最大の盛り上がりを見せた

 玉井会長は「ヴァッサー大との共催を企画し足掛け4年、天才的ミュージカル演出家のジョン・ケアード氏のお陰で、三つの団体のコーラスと太鼓とキッズたちの踊りがうまく一体化し『世界がわが家』の実現へのストーリーをよくまとめきられたと思う。聴衆観衆は感動の嵐で『世界の人に見てほしい。感動を分かち合いたい』と口々に語っていた。次は15年6月、16年3月、ワシントンDC、ニューヨーク、東京。そしてローマ、パリ、ロンドンでと、世界ツアーについてヴァッサー大と緊急に協議している。作品はより完成度を高めて公演される。実現の可能性大である。共催して下さったヴァッサー大学とすべての関係者に、そして全国のあしながさんに心をこめてありがとうございましたと申しあげます」と語っています。

(あしなが育英会編集室、画像撮影:八木沼卓氏)


石巻レインボーハウスもついに竣工

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 あしなが育英会仙台レインボーハウス(3月1日竣工)に引き続き、3月25日、宮城県石巻市とその近郊の東日本大地震・津波遺児やその家族のケア活動の拠点となる「石巻レインボーハウス」の竣工式がおごそかに執り行われました。午前11時から行われた式典には亀山紘石巻市長はじめ、工事関係者、ご寄付者、ご支援者、近隣の方々、あしなが育英会役職員など総勢約60人が出席しました。

 石巻レインボーハウスの建設地は石巻市中里2丁目2番地2号。JR石巻駅から徒歩約15分、石巻バイパス沿いの交通至便なところに位置し、今後具体的には、毎週末に行う日帰りのプログラムを中心に、年数回の宿泊プログラム、家庭訪問活動、遺児支援のボランティア養成などを計画しています。

館内には子どもたちの成長を見守る「身長記載盤」がある

 土地(1378.33㎡)と建物は震災前まで店舗として利用されていたものを譲り受けました。既存の2階建てを大規模改修し、心のケアに必要な「おしゃべりの部屋」「あそびの部屋」「火山の部屋」、そして、いつでも宿泊できるように和室・洋室4部屋、食事もできるラウンジも備えました。さらにのびのび駆け回れるようにと体育館のように広い「多目的ホール」を増設し、屋上には庭園も設けました。

定礎式・開幕の儀をとりおこなった天野聡美副会長

 玉井義臣あしなが育英会会長の代理として出席した天野聡美副会長は「私自身、父親を交通事故で亡くし、生活保護を受けながら母の手で育てられました。親戚からは早く働いて母親を助けなさいと言われましたが、あしながさんに支えられて大学まで進学できました。人は感謝の心をもって初めて自分の居場所ができ、頑張っていけるということを、私は身を持って知ることができました。レインボーハウス活動は阪神大震災遺児が描いた黒い虹を七色の虹に変えたいという願いで神戸に開いたことに始まります。それまでのあしなが育英会の奨学金と精神的支援の対象は高校生からでした。しかし、心の傷の癒しは高校生からだと遅すぎることがわかったのです。このたび、国内外からの実に多くのみなさまからのご支援を受け、仙台市、そして石巻市に、さらに夏までには陸前高田市にレインボーハウスが開設されます。資材不足や職方さんの不足で、竣工までどんなにご苦労されたことか。みなさま一人ひとりに頭を下げ、御礼申し上げたいという思いでいっぱいです。ただ建物ができたからいいというのではありません。今後運営していかねばなりません。震災遺児たちがここで悲しみを癒し未来に向かって元気に力強く歩み出せるよう、どうか今後ともみなさまのお力沿いを心からお願い申し上げます」と挨拶しました。

 また、あしなが奨学生第一期生である下村博文文部科学大臣から「あしなが育英会、石巻レインボーハウス竣工式のご開催誠におめでとうございます。多くの方々のお気持ちを頂戴し、今日の日を迎えることができ、お歓びもひとしおのことと思います。今後は震災を乗り越えた子ども達の心の支えとなり、大きな夢を育む拠点となる事でしょう。支えて下さる周囲の皆様への感謝の気持ちを忘れず、広い世界へ飛び立てるよう心身共に逞しく成長して行かれますことにご期待申しあげ、ご臨席の皆様のご健勝を祈念し、お祝いの言葉といたします」との祝電が届きました。

 祝辞では、亀山紘石巻市長が「あしなが育英会の震災直後からのご支援に、また、ここ石巻市にレインボーハウスを建ててくださり、長期間にわたる遺児の心のサポートをしていただくことに深く感謝申し上げます。先ほど館内を見学し、心のケアにつながる様々なユニークな部屋を見て、子どもたちが必ず立ち直れると強く感じました。レインボーハウスが、子どもたちが震災の悲しみ、痛手を乗り越え、大きな夢を抱くようになるための架け橋になることを祈念し、市長として支援してまいります」と述べました。

あしなが育英会編集室


子ども貧困対策の閣僚会議が初会合 7月に大綱案作成へ

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 4月4日午前、「子どもの貧困対策会議」の初会合が総理大臣官邸で開かれました。安倍晋三・総理大臣が会長を務め、森雅子・内閣府特命担当大臣(子どもの貧困対策)、下村博文・文部科学大臣、田村憲久・厚生労働大臣が出席しました。

 会議の冒頭で安倍総理は、「貧困が世代を超えて連鎖することのないよう、必要な環境整備、教育の機会均等を図る対策は極めて重要だ。すべての子どもたちが夢と希望を持って成長していける世界の実現に向けて、子どもの貧困対策に一丸となって取り組んでほしい」とあいさつしました。ひとり親家庭や生活困窮家庭への相談・就労支援、教育支援策など必要な対策を盛り込んだ大綱案を7月に作成する方針を決定しました。

 今後は、子どもの貧困の当事者・支援者、有識者などをメンバーとする、大綱案作成のための検討会議を開催することになりました。

あしなが育英会
玉井 義臣

 けさ、安倍総理を会長とする子どもの貧困対策会議の初会合が開催されたことを心からうれしく思います。

 あしなが育英会の学生たちと「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワークの方々が中心になって運動し、下村文部科学大臣の力強いリーダーシップで、子どもの貧困対策推進法が去年6月に成立し、今年1月に施行されました。

 安倍総理のごあいさつのとおり、府省の壁を超えて、子どもの貧困削減のために実効性の高い大綱が策定されることを期待しています。

 「今年7月に大綱を策定する」とのことですが、その大綱を踏まえて、来年度予算の概算要求には、子どもの貧困対策に関する充実した予算措置が盛り込まれることを熱望しています。

 とくに、遺族年金と児童扶養手当の支給期間を現行の高校卒業までから、せめて20歳までに延長していただければ、より多くの貧困世帯の子どもが大学や専門学校に通うことができます。「貧困の連鎖」を解消する大きな施策です。ぜひともその実現を強く望んでいます。


「自ら道を切り開け!」塾長式辞及び 村田関西学院大学学長の入塾記念講演

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 4月6日(日)10時より、東京都日野市のあしなが育英会の心塾(東京と神戸にある、奨学金を受ける遺児が大学生活を送るための“人間作り”を目指した寮)において、桜が舞い散る中、新入塾生のための入塾式が東京と神戸の二元中継をしながら執り行われました。入塾式では、塾長(玉井義臣あしなが育英会会長)が、東西の学生に親しく語りかけながら、人間味あふれ、しかも非常に革新的な式辞を贈りました。午後には、当会のOBであり、副会長である村田治関西学院大学学長による「入塾記念講演」が開催されました。村田学長の、率直でしかも学生達の琴線に触れる素晴らしいスピーチに対して、東西両方の塾生から盛大な拍手喝さいが沸き起こりました。
 親元を離れ不安で胸をいっぱいにしながら新しい人生に踏み出そうとする若き遺児達の行く先を照らす、この二つの感動的なスピーチの要約を皆様にご紹介します。

1. 塾長(玉井義臣あしなが育英会会長)式辞

ようこそ、心塾へ!

 新入塾生の諸君、入塾おめでとう。保護者の皆様、今日からお預かりするこの若者たちを立派な人間として社会に送り出せるように、我々も一緒に切磋琢磨して頑張っていきます。

 今日、我々を取り巻く社会の状況は、決して楽観的になれるものではありません。日本も世界も行き詰っており、それを打開するために「何でもあり」がまかり通りそうな危険な風潮さえ感じられます。そういう中で生きていくには、どうしたら良いかを真剣に考えて欲しい。世界中で貧富の格差が広がる中で、今こそ「利己的」でなく「利他的」に生きることが必要なのではないだろうか。下手をすれば衰退に向かいそうな日本の状況だからこそ、今求められるのは、皆が内向きにドメスティックになるのではなく、国際的な視野を持って積極的にチャレンジしていく姿勢なのです。

新入塾生を迎え、笑顔の玉井塾長

ウガンダからの留学生ルターヤ・ヴィアレ君

 今日、新入塾生の中にウガンダからの留学生ルターヤ・ヴィアレ君がいます。彼は日本で一生懸命勉強して、やがては母国で政治家になろうという夢を持っています。君たち一人一人が彼と同じくらいの目的意識、つまり「自分は将来世の中を背負って生きるんだ」という気概をもって生きて欲しい。同時に、ウガンダのようなアフリカのサブサハラ地域に食べ物も満足に食べられない貧しい人々がいて、教育を受けたくても受けられない事実があることを、自分のことのように怒れる人間になって欲しい。一生流れに身を任せて中途半端な人間になってはいけない。君たちはもう、感情でものごとを決める年齢ではない。

 「自分の頭で考える力」を武器にして、自分で自分の道を切り開いて欲しい。もちろん、たとえ志高くWork Hardしても、上手くいく人と行かない人はいるだろう。しかし人生は、君が本当にそれを望み、自分で生きる力をつけるならば、必ず開けていくものです。心塾を、そういう力をつける場にして欲しい。誰もが良いと思う社会を築いていける人間になってください。どうか心塾に入ったことを、それを目指す人生の端緒としてください。

2. 村田治関西学院大学学長 入塾記念講演

笑顔の村田治関西学院大学学長

 今日はみなさんに、二つのことを話したい。一つは私の来し方について。そしてもう一つは、「今の世界の中で、どうやって生きていくべきか。」ということです。

 まず、私の来し方について。私は13歳の時に父親を交通事故で亡くし、母一人子一人となりました。皆さんもそうだと思うが、父親を亡くしたショックもあって中1の成績は散々でした。中2から持ち直して、高校では生徒会をやり、制服改革などの学生運動をリードする目立つ生徒でした。しかしながら勉強は全然やらず、結局京都大学に二浪し、関西学院大学に入りました。皆さんの中にも第一志望の大学に落ちた人はいるでしょうが、受験に失敗したことが私に及ぼした影響は大きかった。コンプレックスの塊となり、自暴自棄のどん底の2年間を過ごしました。

 ところが関西学院大学というのは良い大学で、自暴自棄になった学生をやる気にさせてくれる大学でした。大学生活の中で、自分で「このままじゃ使い物にならない。」と思った私は、コンプレックスを払しょくするために大学院に入ること、それも「トップで大学院に合格し、トップで卒業する」ことを固く心に決め、実行しました。この時、自分で決めたことを自分でやり通したことが大きな自信になり、私を大きく変えるきっかけとなりました。
 
 そして大学院卒業後関西学院大学に就職しましたが、自分でも教育者は向いていると思っています。学生との間に壁がないので、学生との間にとても良い関係を築けています。そして常に「人間として全人格をかけて学生と対峙しなければ」と言う信念を持って学生と接しています。

 大学の運営等で大事にしていることは、「うそをつかない。」ということにつきます。一度でも嘘をついたら、すべての信頼が崩れます。もうひとつ「何があっても逃げるな。」と学生に教えています。
次に、世界のなかでどう生きていくべきかについて語りたいと思います。今、大きな3つの流れがあり、それらは互いに関わっています。次の3つです。

1.知識基盤社会
2.グローバル化
3.格差の拡大

 1の知識基盤社会とは、大学進学率が上がっている社会です。大学進学率について言えば、マーチン・トロウという人が面白いことを言っています。「大学進学率が15%を超えるとエリート型からマス型に、50%を超えるとユニバーサル型に変わる。マス型からユニバーサル型になる時に教育の質が変わる。」日本がマス型になったのが1969年。50%を超えユニバーサル型になったのが2009年です。マス型の時は「知識と技術の伝達」が大学教育の目的でしたが、ユニバーサル型では「新しい広い経験の提供」が大学教育の目的となる。つまり、ユニバーサル型になれば新しいコンピテンシー(汎用性のある能力)が求められるのです。

EUで研究した結果、30のキー‣コンビテーシーが必要で、中でも重要な能力は次の5つです。

1.学習する力
2.知識を実践に適用する力。
3.分析と総合の能力
4.新しい状況に対応する能力
5.対人スキル

これを、あしなが育英会の4つのモットーと比べてみましょう。

1.暖かい心
2.広い視野
3.行動力
4.国際性

 1の暖かい心は「対人スキル」であり、広い視野は「分析と総合」であり、行動力は「知識を実践に適用する力」であり、「新しい状況に対応する能力」は4の国際性によってつけられる。また、「学習する力」は、生涯自分で本を読むことができれば身につく。つまり、実は今世界が求めている能力は、あしなが育英会がずっと言い続けてきたことなのです。

 大学進学率があがっても、遺児の進学率は別です。高校奨学生の大学進学率は平均で約17.4%です。君たちは17.4%の1人なのです。なぜなのか。母子家庭では母親の平均年収は200万円。残念ながら大学進学率を決める要因のトップは家庭の所得なのです。ここに格差が生まれます。では、世界はどうなのか。世界的には格差の原因は8割が国と国との格差です。なぜこんなことが生まれるか。人・物・金が国境を超えるのが国際化。それに加えて制度が変わるのがグローバル化です。このグローバル化が貧富の格差を広げる大きな要因となっています。

 世界の3つの流れ「知識基盤社会」と「グローバル化」、「格差の拡大」は互いに関連していますが、格差が拡大しグローバル化が進む中で一番必要なのはチャレンジすることです。遺児になると、私を含めて「自分で自分を守らねば」という意識が強くなる。しかし、是非それを取っ払ってチャレンジして欲しい。
君たちが置かれている状況は厳しいともいえるが、人間としての能力を高めることが未来につながることを思えば、むしろ恵まれているとも言える。何も恐れずに進め。自分の10年後をイメージして理想をもつこと。本当にやりたいことを見つけたら必死で勉強すること。それが大事です。


本会大学奨学生らが出席 内閣府「子どもの貧困対策検討会」初会合

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 内閣府は4月17日、「子どもの貧困対策に関する検討会(座長=宮本みち子・放送大学副学長)」の初会合を開きました。当事者代表としてあしなが育英会大学奨学生・あしなが心塾生の髙橋遼平さん(中央大学3年)、そして支援者代表として小河光治・あしなが育英会奨学課長らが出席しました(構成員名簿は、以下のとおり)。
 初会合の冒頭、子どもの貧困対策担当の森雅子・内閣府特命担当大臣は、「この検討会は、4月4日開催の『子ども貧困対策会議(会長=安倍総理大臣)』において決定された、『子どもの貧困対策を総合的に推進するための大綱』の案の作成方針に基づき、内閣府特命担当大臣の下に開催するものです。広く関係者の意見を聴取しながら、大綱案に盛り込むべき事項を検討し、今年7月を目途に大綱の策定に向けて取りまとめを進めます。子どもたちが夢と希望を持ち成長できる社会の実現を目指し、ご協力よろしくお願いします」とあいさつしました。

 その後、文部科学省と厚生労働省の担当者が、子どもの貧困対策の現状を説明しました。
 自由討議で髙橋さんは、「父は、私が中学1年の秋に亡くなりました。責任感が強い人で、自分の会社の負債を、自身の生命保険金で返済しようとして自殺しました。しかし、自殺では保険金はおりず、母が自己破産することで、債務は消滅しました。そのため大学進学のお金はありませんでした。そんな私が東京の私立大学への進学が実現したのは、日本学生支援機構とあしなが育英会の奨学金、そしてあしなが育英会の学生寮で月1万円の寮費で生活できるためです。しかし、日本学生支援機構の3%の利子のつく奨学金を借りている私の先輩は、利子だけで200万円にものぼると聞きました。日本学生支援機構の奨学金はすべて無利子にしてほしいです」などと大学や専門学校への進学支援を中心に発言しました。
 小河課長は、「児童扶養手当・遺族年金・障害年金の子どもの支給期間を高校卒業からせめて20歳までの延長を強く望んでいます。現在、大学・専門学校進学率は70%ですが、母子世帯の場合46%で24ポイントもの差があります。支給期間延長が進学促進につながります。また、対策の計画をすすめるには、まず子どもの貧困世帯に関する実態の把握が急務です。そのための調査・分析・研究が必要です。実態把握の範囲は、子どもの貧困世帯全体がカバーされるようにする必要があります。すでに実施している調査データを活用することや新たな調査の実施も願っています」と述べました(髙橋さん・小河課長の配布資料は、ここからPDFファイルをダウンロードできます)。
 検討会は、今後以下の日程で開催される予定。内閣府に事前登録すれば、傍聴できます。
 
また、内閣府のウエブサイト で、政府からの配布資料などがダウロードできます。

■子どもの貧困対策に関する検討会 構成員
大 塩 孝 江 全国母子生活支援施設協議会会長
小 河 光 治 あしなが育英会奨学課長
新 保 幸 男 神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部教授
末 冨  芳 日本大学文理学部准教授
髙 橋 遼 平 大学生(日本学生支援機構奨学生,あしなが育英会奨学生)
鉄 﨑 智嘉子 全国母子寡婦福祉団体協議会副理事長
道 中  隆 関西国際大学教育学部教授
◎宮本 みち子 放送大学副学長
山 野 則 子 大阪府立大学地域保健学域教育福祉学類教授
(オブザーバー)
大 山 典 宏 埼玉県福祉部こども安全課養護担当主査
古 瀬 清 美 荒川区子育て支援部参事 子育て支援課長事務取扱
(五十音順、敬称略) ◎:座長

■開催日程
○第1回(平成26年4月17日(木)10:00~12:00)
○第2回(平成26年5月1日(木)09:00~12:00)
○第3回(平成26年5月22日(木)13:30~16:30)
○第4回(平成26年6月5日(木)13:30~16:30)


春の第88回学生募金始まる(4.18 東京)

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 第88回あしなが学生募金のオープニング・セレモニーが、4月18日、東京・JR有楽町駅前で行われました。

 セレモニーには、女優・音無美紀子さん、村井麻友美さん、あしなが育英会名誉顧問の岡嶋信治さん、玉井義臣・会長、天野聡美副会長はじめ学生ら30人が参加し、通行人に募金へのご協力を呼びかけました。

 最初に、木村宏希・第88回学生募金事務局長(早稲田大4年)が、「親の世代の貧困から、子の世代が抜けられない『貧困の連鎖』。この負の連鎖から抜け出すためには、教育が必要です。しかし、2013年11月にあしなが育英会が高校奨学生の保護者に実施した調査によると、就職希望の高校奨学生が27%、その理由の「進学したいが家計を助けなければならない。」と「進学したいが経済的に無理」を合わせると5割を超え、多くの高校生が進学を希望しつつも、お金がないために就職せざるを得ない状況です。」と経済的に進学できない遺児の実態を訴えました。

 続いて、3月の日本、米国、ウガンダの青少年による和太鼓・コーラス・歌と踊りのコラボコンサート「世界がわが家」(ジョン・ケアード演出)でナレーターを好演した、女優の音無美紀子さんは、「日本の将来を担っていく若者たちは、日本の宝です。一人でも多くの子どもたちが自分の夢に向かって歩いていけるように応援したいと思っております。」と温かいエールを。また、娘で女優の村井麻友美さんは「私一人の力は小さいですが、たくさんの方々の力が加われば、とっても大きな力になると信じております。」と親子で市民への支援を呼びかけていただきました。

 玉井会長からは、「岡嶋信治さんと10人ほどの仲間とともに、第1回目の街頭募金を有楽町と池袋で初めてやったのは46年前の10月。8日間立って集まったお金は30万円でした。それが、全国で毎年春秋の2週末にそのお金がいまや100億円を超えました。単にお金が集まったというだけではなく、このように全国の街頭でたくさんの方々に子どもたちの現状を訴え、あしながさんになるモチベーションになりました。そういう意味で、あしなが運動の原点は、この街頭募金です。この街頭募金は、全額国内の遺児のために使わせていただきました。しかし、日本の子どもたちだけではなく、世界の子どもたちがどこで生まれても、一生懸命勉強すれば世界中の大学に入る機会を得られる、そういう体制を今年からさらに拡げていきます。みなさまのご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。」と述べました。

 第88回あしなが学生募金は、4月19日(土)・20日(日)・26日(土)・27日(日)に、全国の主要駅頭など約200か所で実施されます。
詳細と最新情報については、あしなが学生募金のウェブサイト



カンデ・ユムケラー氏へ「賢人・達人」の委嘱状が手渡される

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左から小澤大使、藤村副会長、ユムケラー氏、竹歳大使

 4月15日、オーストリア・ウィーンの国連万人のための持続可能なエネルギー事務局で、あしなが育英会藤村修副会長(前内閣官房長官)から、賢人カンデ・ユムケラー氏へ賢人達人の委嘱状が手渡されました。任期は2014年4月から5年間。ウィーンから小澤俊郎在ウィーン国際機関日本政府代表部大使、ならびに竹歳誠オーストリア大使が立ち会いました。

 ユムケラー氏は万人のための持続可能なエネルギー担当国連事務総長特別代表で、オーストリアの賢人代表の一人として選ばれました。今後、「賢人達人会議(Kenjin-Tatsujin Council)」に参加し、「アフリカ遺児教育支援百年構想」の実現の知恵袋として、遺児留学生と留学先大学のマッチングやアドバイスなどの役割が期待されます。

藤村副会長から委嘱状を受け取るユムケラー氏

 ユムケラー氏はアフリカ・シエラレオネの出身で、米国イリノイ大学、ミシガン州立大学にて農業経済学を学びました。その後母国シエラレオネの通商産業大臣や国連工業開発機関(UNIDO)の事務局長として、アフリカや世界各国の貧困削減のために働いてきました。現在は「万人のための持続可能なエネルギー」というテーマで世界を駆け回っており、いろいろな国際会議で引っ張りだこになるほど人気があります。まさに、アフリカの子供たちのロールモデルとなる人です。

 藤村副会長からユムケラー氏に、百年構想をどうサポートするか聞かれ、次のように答えました。
「コフィ・アナン氏(第7代国連事務総長、ノーベル平和賞受賞)が仰っていたように、国連は人類のために働く機関です。これと同様に、賢人としてアフリカの遺児支援をすることは、人類のために働くことだと考えます。恵まれない遺児のために働けることは大変喜ばしく、このような機会をいただけ光栄です。私は子供たちに希望を与えることができると思います。賢人達人会議のメンバーの一人として、できることは何でもしたいと思います」。
 アフリカのリーダーを育成するために、今後も力強いサポートが期待されます。

※ユムケラー氏が代表を務める国連万人のための持続可能なエネルギー事務局のホームページにも会議の模様が掲載されています。ご覧ください。

【徳松愛記者 発】


春の第88回学生募金募金・関西セレモニー

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 2014年4月19日(土)、大阪・なんばで、第88回あしなが学生募金・関西セレモニーが行われた。芸能生活50周年を迎えたタレントの西川きよしさんも応援に駆けつけ、「皆様のご協力で、遺児たちにぜひ教育を受けてもらいたい。そして、社会人となった時は、今度は彼らが他の人の力になってくれる」と、道行く人たちに支援を呼びかけた。西川さんは、毎年春と秋の募金にご参加くださり、今年で24年目となる。

 セレモニーには、遺児の母親、小学生、中学生、高校生、大学生ら合計17人が参加。また、この春に本会学生寮「虹の心塾(兵庫県神戸市)」に入塾し、大阪教育大学に入学した茶谷春奈(ちゃたに・はるな)さんは、自らの体験を語り、支援の必要性を訴えた(以下、原文)。

「私は4年前、父を癌で亡くしました。父は、半年間の闘病生活後に亡くなりました。中学3年生だった私は突然の出来事に、父がいなくなったという現実を信じられませんでした。これから家族はどうなってしまうのだろう。私は高校に行くことができるのだろうか。そんな不安でいっぱいでした。そんなとき、私はあしなが育英会から奨学金のご支援をいただけることになりました。そのおかげで、学校に行くことの不安は少し和らぎ、私は勉強と部活に専念することができました。そして、あしなが育英会が行う夏のつどいに参加して、私はだんだんと父がいない現実を受けいれ、心の中を整理できるようになっていきました。ご支援をいただいた多くの方々と、私たちのために募金活動を続けてきてくださった先輩方には、感謝の気持ちでいっぱいです。
 今度は、大学生になった私が恩返しをする番だと思っています。私は、学校の美術の先生になる夢をかなえるために、大学では芸術と教育の勉強に特に力を入れて取り組もうと思っています。大学で精一杯勉強に励むことと、自分と同じように高校進学に悩んでいる後輩たちのために活動していくことを、大学生活の中で頑張りたいと思います」


ディーター・レンツェン氏へ「賢人・達人」の委嘱状が手渡される

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左から藤村副会長、レンツェン氏、中根特命全権大使

 4月16日、ドイツ・ハンブルグのハンブルグ大学学長室にて、あしなが育英会藤村修副会長(前内閣官房長官)から、賢人ディーター・レンツェン氏へ賢人・達人の委嘱状が手渡されました。任期は2014年4月から5年間。在ドイツ日本国大使館から中根猛特命全権大使が立ち会いました。

 レンツェン氏はハンブルク大学長のほか、ドイツ学長会議副会長(国際担当)も務めます。教育哲学を専門に、ドイツの大学や教育分野で多くの実績を持つ方です。これまでに発表した論文や著書は900以上。東京大学やスタンフォード大学で客員教授の経験を持つ、国際性豊かな方でもあります。教育現場のネットワークを活用した学生と大学の円滑なマッチングについて期待できます。まさにドイツを代表する賢人です。

会談の様子

 会談では、藤村副会長から「アフリカ遺児教育支援百年構想」の全体像や、賢人・達人の役割が話された後、最後に「あしなが」の由来が説明されました。
 「あしなが、とは日本語で『長い足』、という意味です。アメリカの小説家、ジーン・ウェブスターが書いた『あしなおがおじさん』という小説から来ています。恵まれない子供に足の長いおじさんが名前も言わずに、その子に奨学金を送り進学を支え、交流を深めるという物語です。『あしなが』は、この小説のように、貧しい子供を陰ながらそっと応援し、進学を支えるということに由来しています。」

 真剣な眼差しで話を聞いたレンツェン氏は微笑み、次のように答えました。
「まず、私は長い足を持っています(笑)アフリカの子供たちの『あしながおじさん』のように活動できるよう、私ができる助言なり提言は、可能な限り行なっていきたいと思います。できることがあれば、何でも仰ってください。賢人・達人会議のメンバーとして、あしながに関わることができ大変うれしく思います。」

 委嘱状が手渡され、最後に固い握手で結ばれた藤村副会長とレンツェン氏。ヨーロッパに広がる賢人・達人会議の一人として、力強いパートナーとなりました。

【徳松愛 記者発】


5月17日「STOP!子どもの貧困 東京ユースミーティング」を東京で開催

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5月17日、東京・日本青年館で、あしなが育英会の大学奨学生らが中心となり、子どもの貧困対策をすすめるための集会・パレードを実施します。ぜひ、ご参加ください。

326万人。6人に1人の子どもが貧困状態の日本。その割合は増え続け、放置しておけば、さらに増え続けるでしょう。
大人になっても貧困のままという連鎖を「ほっとけない」学生たち。全国各地で、学習支援などに多くの学生たちがすでに動き出しています!
同世代として、つらさを抱えながら生きている子どもたちとともに生きていきたい!

札幌・仙台・名古屋・大阪・広島・福岡など各地でユースミーティングを企画していきます。
オープニングは、5.17東京@日本青年館
子どもの貧困対策に学生たちの声や意見をぜひ活かしてほしい!!
大臣や各政党代表に直接、私たちのアツイ・熱い想いを伝えたい!!!
ご賛同いただける幅広い世代の方々のご参加を心からお待ちしています。

開催概要

日時 5月17日(土)午前9時~11時
会場 日本青年館 中ホール  JR「千駄ヶ谷」・地下鉄「外苑前」・「国立競技場前」下車徒歩約10分
主催 STOP!子どもの貧困ユースミーティング実行委員会・あしなが育英会
内容
【第1部】全国各地の学生たちによるリレートーク
【第2部】当事者や支援者の訴え、子どもの貧困対策の要望、大臣、国会議員(各党代表)のご発言など。
集会終了後、表参道・原宿・渋谷をパレードします。解散は、渋谷駅周辺の公園13時予定です。

<ご連絡先>
あしなが育英会 〒102-8639 千代田区平河町1-6-8 平河町貝坂ビル3F
E-mail:stopcpjp@gmail.com  FAX(03)3221-7676

お申込み方法

5月15日(木)までにE-mailかFAXで以下の内容をご記入してお申し込みください。
1.お名前
2.ご所属(学生・社会人・保護者・その他)
3.お住まいの都道府県
4.E-mailまたはFAX番号
6.ご意見・ご要望など(ご自由に)

子どもの貧困対策 主な要望骨子(素案)

■さまざまな実態調査・研究・分析などで「子どもの貧困」の見える化を
■給付の高校奨学金の増額・大学や専門学校の奨学金をすべて無利子に
■遺族年金・児童扶養手当などの支給期間延長・児童扶養手当の多子加算
■小中学生への就学援助の充実や学習支援への公費負担増額
■保護者の雇用や就労に関する支援の充実、家族への「食」の提供支援
■安心できる保育の充実・医療費の助成期間の延長や助成額の増額
■子どもも保護者も相談できる人や場所を充実し、孤立させない体制を など

 髙橋遼平・STOP!子どもの貧困ユースミーティング実行委員長
(中央大学3年・あしなが育英会大学奨学生)

あしなが育英会の大学・専門学校奨学生は、2009年12月の「遺児と母親の全国大会」から毎年、「子どもの貧困対策法」の制定を訴えてきました。昨年3月と5月には集会とデモ&パレードを行い、のべ800人もの方々にご参加いただきました。そして昨年の6月、ついに「子どもの貧困対策法」が、衆参両院すべての国会議員の賛成で成立し、今年の1月17日に施行されました。温かいエールをおくっていただいたみなさまに心からお礼申しあげます。

私の父は、私が中学1年の秋に亡くなりました。自分の会社の負債を、生命保険金で返済しようとして自殺しました。しかし、保険金はおりず、母は自己破産しました。1日中、母は泣きました。自殺で最愛の夫を亡くした悲しみを誰にも相談できないまま、それでも母は、私と当時小学5年生だった妹のために、飲食店の事務職に就き、毎日、夜遅くまで働いてくれました。進学のためのお金がなかった私が北海道から東京の私大への進学できたのは、日本学生支援機構とあしなが育英会の奨学金、そしてあしなが育英会の学生寮で月1万円の寮費で生活できるためです。父の死を無駄にしたくない、母の努力を裏切りたくない。そう思いながら、生活しています。

しかし、あまりにもひどい子どもたちの現実を知るたびに深く心が痛みます。子どもの貧困率は、15.7%で326万人の子ども(17歳以下)が貧困にあえいでいます。ひとり親世帯の貧困率は50.8%で、OECD30か国で最下位です。お金がないだけではなく、「多くの子どもができることができない、持っているものを持っていない」など、あらゆる機会が奪われています。そして、貧困が親から子へと受け継がれてしまう貧困の連鎖。この負の連鎖を断ち切らなくては!と生まれた法律が「子どもの貧困対策法」です。私たちの未来に明るい希望の光となるような大きな前進を、私たちは目の当たりにしました。

しかしながら、「子どもの貧困対策法」ができただけでは、子どもの貧困はなくなりません。まだまだわかっていない子どもの貧困の実態を明らかにして、どのような政策が子どもの貧困対策に効き目があるか、などのプランが必要です。それらを、子どもの貧困対策の「大綱」の中に書き込んでもらわなくてはなりません。

この「大綱」は、今年7月までに策定されることになっています。そこで、これからの社会を担う学生たちが、大臣や各政党の代表に、「ユースミーティング版大綱案」を提出したいと考えています。もちろん、学生だけではなく、あらゆる当事者・支援者の方々、この問題に関心を持ってくださる幅広い年齢層のみなさまにも、私たち学生の提案をバックアップしていただきたいと心から願っています。

もう、こんなにつらく苦しい思いをしている子どもたちに、さらに何重もの不利を負わせたくないんです!私たちとともに生きていくすべての子どもたちが未来に希望がもてる社会を実現するために、実効性のある充実した大綱が策定されますように、みなさまのご参加を心からお待ちしています!

■チラシは下記PDFファイルをダウンロードください。


エリカ・テルプストラさんへ「賢人・達人」の委嘱状が手渡される

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左から辻特命全権大使、エリカさん、藤村副会長

4月24日、オランダ・ハーグのオランダ日本国大使館で、藤村修あしなが育英会副会長(前内閣官房長官)から、エリカ・テルプストラさんへ賢人・達人の委嘱状が手渡されました。初の女性メンバーです。任期は2014年4月から5年間。オランダ日本国大使館から辻優特命全権大使が立ち会いました。

 エリカさんは元五輪水泳メダリスト。東京オリンピック(1964年)で銀、銅メダルを獲得ほか、1962年にはヨーロッパチャンピオンになるなど、輝かしい記録を持っています。その後、オランダ五輪委員会にて委員長として就任、政府にて保健・福祉・スポーツ副大臣を務めるなど、公のために広く貢献してきた方です。現在は自身のテレビ番組でコメンテーターを務め、オランダでは広く知られている方です。
 
 藤村副会長からあしなが育英会の活動や「アフリカ遺児教育支援百年構想」の全体像の説明を受け、始終満面の笑みを浮かべていました。「私たちは志と夢を持ち、100年構想に取り組んでいます」と話す藤村副会長に、エリカさんは大きく頷き次のように答えました。

 「このような活動に取り組まれ、深く敬意を表します。達人・賢人会議の一員になれたことを大変光栄に思います。日本人はよく、『表情から何を考えているかわからない』などと言われることがありますが、(藤村副会長の)お顔には夢を叶える、という意思がはっきりと表れています。私も共に協力しますし、言語の問題は全く関係ありません。」
 
 委嘱状が手渡され、明るい笑いの中で会談は幕を閉じました。賢人・達人会議 初の女性メンバーとして、今後の活動を明るく盛り上げてくれると期待されます。

徳松愛 記者発

後日、エリカ・テルプストラさんからメッセージをいただきました。日本語訳を掲載いたします。

◆◆◆

先日はお会いでき、大変光栄でした。あしなが育英会の今後の夢をはっきりとお話になる藤村副会長に感銘を受けました。同時に、創設者玉井会長のもとでの50年にわたる活動、そして「あしながアフリカ遺児教育支援百年構想」の実施に深く敬意を表します。

 私は玉井会長のビジョンに賛同いたします。アフリカサブサハラ以南49か国にて、才能ある遺児の教育支援はアフリカ全体の底上げ、そして未来のリーダー育成に欠かせません。この構想を実現するために、この度、ヨーロッパ「賢人・達人会議」の一員に選ばれたことを大変誇りに思います。

 良き賢人・達人として活動するよう、全力で取り組みます!

深い敬意をこめて
エリカ・テルプストラ


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