玉井義臣あしなが育英会会長はトルコ共和国を訪れ、コジャエリ県イズミット市にあるコジャエリ大学で4月17日と18日の2日にわたり3回の講義を行いました。
コジャエリ大学があるイズミット市は、イスタンブールから約90キロ南東に位置しています。1999年8月17日にマグニチュード7.6の巨大地震が発生し、約1万7000人が死亡、60万人が家を失いました。
1995年に阪神淡路地方を大地震が襲い甚大な被害を引き起こしたとき、世界中からあしなが育英会に多額の義援金が寄せられました。本会はその義援金を活用して神戸に、震災遺児やその家族に心のケアを提供するための施設、神戸レインボーハウスを建設しました。阪神淡路大震災後、神戸のあしなが育英会奨学生たちは、世界各地で大規模な地震、津波などの災害や、紛争、戦争が起こると、恩返しの意味を込めて街頭募金活動を行い、遺児救済のために集めた寄付金を被災地に届ける活動を行なってきました。
イズミット地震発生後も神戸のあしなが育英会奨学生が呼びかけ、43都道府県で街頭募金を行い、神戸の遺児代表が首都アンカラを訪れ、集まったトルコ震災遺児激励募金1700万円をデミレル・トルコ共和国大統領に直接届けました。またこの時、本会の八木職員がコジャエリ県・イズミットで心のケアプログラムを開催しました。
2000年8月、あしなが育英会が開催した 第一回国際遺児交流会に、コジャエリ大学教育学部ギュルシェン・オズチュルク教授に引率された7名のイズミット震災遺児が参加したのを皮切りに、2007年の第八回までにのべ37名の震災遺児が国際遺児交流会に参加しました。
2011年4月、震災遺児ゴクデミ・エリフ(当時18歳)さんが本会の支援を受けて早稲田大学国際教養学部に入学しました。2011年5月に玉井会長がコジャエリ大学を訪問した際には、クノルニ学長があしなが育英会の大学奨学生をコジャエリ大学に研修生として受け入れることに合意して、協定書に調印しました。訪問中玉井会長はユヌス教育学部長のコーディネートで、経済学部と教育学部でそれぞれ90分間の講演を行いました。
2012年03月あしなが育英会大学奨学生村尾正樹さん(北海道大学生)がトルコ留学研修第一期生としてコジャエリ大学に派遣されました。その後二期生の派遣枠を1名から4名に拡大することが決まりました。2013年3月に帰国した村尾さんに続いて、4月から本会の大学奨学生3名が第二期生としてコジャエリ大学で学んでおり、本会とコジャエリ大学との協力関係は年々強まっています。
今回の玉井会長の講義は前回2011年5月の講義から2年ぶりに行われ、コジャエリ大学からの強い要望があり実現しました。

会場を埋めた教育学部の学生
第1回目の講義は4月29日午後2時から教育学部の教室で行われました。定員90人の教室に他学部の学生も含め、140人が集まりました。玉井会長の講義の内容は本会が現在最も力を入れている“あしながアフリカ遺児教育支援100年構想”から独自の教育理念など多岐にわたりましたが、姉、母親、妻の死が自分をあしなが運動に駆り立てたこと、過去50年間に約9万人の学生の進学を支援し、900億円の寄付を集めてきたことを説明すると、会場の学生から大きな拍手が起きました。話題が若くして癌で亡くなった会長の妻、由美さんの話に移ると学生たちは真剣な表情で聞き入っていました。

また、会長が自分は11人兄弟の11番目で家庭が経済的に苦しかったこともあり大学で学べたのは、自分だけだったことを語ると、教育学部の女子学生スナ・オザルプさん(2年)が手を挙げ、自分も11人兄弟の10番目です、と話しかけ会長を驚かせました。講義の後、オザルプさんは“私の家庭も裕福ではないので、大学で学べているのは自分だけです。同じような境遇で育った会長があしなが育英会を作り、国内の遺児だけでなく国外の遺児にまでに支援を広げていることを知り感動しました“と感想を述べてくれました。オザルプさんは日本への留学を熱望しています。
第2回目の講義は30日午前11時から医学部の小講堂で行われ、玉井会長は、約50年前に自宅前でトラックに跳ねられ、脳挫傷でなくなった母親について語りました。当時日本には脳外科医がほとんどおらず、自分の母親だけでなく交通事故で頭部に傷を負った患者のほとんどが、適切な治療を受けられず死亡していたことを説明しました。
卒業後は医療に従事する医学部の学生たちは、玉井会長が母親のかたきを討つために必死で勉強して書いた論文「交通犠牲者は救われていない-頭部外傷者への対策を急げ」が朝日ジャーナルに掲載されると大反響が起こり、ほとんどの総合病院に脳神経外科ができて、脳外科医が増えたと話すと、真剣な面持ちで聞き入っていました。
後半、壇上に上がってあしなが育英会のこれまでの活動を説明した岡崎祐吉理事が、玉井会長は現在78歳ですが”あしながアフリカ遺児教育支援100年構想”を実現させるためにあと100年生きますと言うと、会場から笑いと拍手が起こりました。
同日午後2時から人文科学部で行われた第3回目の講義にも多くの学生が集まり教室はほぼ満席になりました。コジャエリ大学での最後の講義で玉井会長は、1995年起きた阪神・淡路大震災で親を亡くした子供たちが負った心の傷について語りました。被災した子供たちの多くが夜中に突然目を覚ます、トイレにいけない、エレベータに乗れないなどの問題を抱えたことを説明しました。また、そのような子どもたちが1日も早く立ち直れるよう、日本最初の遺児の心を癒す家として神戸に虹の家レインボーハウスを立てたことを話しました。あしなが育英会の大学奨学生(虹の心塾生)で、現在コジャエリ大学で研修中の神戸大学生赤池優君が玉井会長に促され壇上に上がり、レインボーハウスの中にある子供たちの心を癒すために特別に設計された様々な部屋について説明しました。
この最後の講義には18歳の女子高生ヌルバーノ・ドウルマスさんが招待されました。ヌルバーさんは1999年の震災で父親を亡くし、本会が阪神淡路大震災10周年の2005年1月に日本で開催した5回国際遺児交流会に当時10歳で参加しました。壇上に招かれ自己紹介し、当時なぜ自分だけ父親が居ないのかと考えていましたが、交流会に参加して日本や世界各地から集まった遺児たちと出会い、親がいなくて悲しい思いをしているのは自分だけでないことを知ることができましたと、当時の思い出を語りました。ヌルバーノさんも高校卒業後はぜひ日本に留学したいと話していました。
2日間にわたり行われた3回の講義は各学部の学部長のご協力のおかげで無事終了しました。
*あしなが育英会、トルコのコジャエリ大学と相互に留学生を受け入れることで合意し調印*

(左)玉井会長 (中)コムスオール学長 (右)ギョカルプ副学長
玉井義臣あしなが育英会会長は2013年4月30日、トルコ共和国コジャエリ県イズミット市にあるコジャエリ大学と、相互の推薦に基づいて遺児大学生を対象にそれぞれ4名を上限とする交換留学生制度を開始することに同意、コジャエリ大学学長セゼル・コムスオール学長、アイシエ・セギョム・ギョカルプ副学長と大学内で調印式を行いました。この同意により今後コジャエリ大学は毎年4名を上限とし、あしなが育英会が推薦する大学奨学生を研修生として受け入れ、また、あしなが育英会は毎年4名を上限とし、日本の大学の留学試験(1年間または4年間)に合格したコジャエリ大学の学生、ただし同大学の推薦を受けたもの、をあしなが奨学生として受け入れ、支援することが決まりました。

この合意により、今後ますます本会とコジャエリ大学との遺児教育支援協力体制が強まることが期待されています。
右写真:あしなが育英会スタッフ コジャエリ大学スタッフ あしなが研修生(右)