「もし成立すれば、『貧困』という言葉を冠する初めての法律になる。その意義は大きい。『あってはならない状態にある子どもたち』の存在を認め、国が政策課題として位置づけるからだ」
子どもの貧困対策法案を朝日新聞は、社説(5月18日付)でこう評した。
半世紀に及ぶあしなが運動の果実として、最も光輝き、歴史的評価を受けるであろう法律が生まれようとしている。
2013年6月4日、衆議院本会議で子どもの貧困対策法案が全会一致で可決し、参議院に送られた。
(法案は、以下のPDFファイル参照)
親を亡くす、または障害で働けない家庭の子どもたちは、貧困のどん底に突き落とされる場合がほとんどだ。あしなが運動は、そういった遺児たちを物心両面で支え、貧困の連鎖を断ち切り、世のため人のために貢献する多くの人材を社会に送り出してきた。
そのあしながファミリーの長男、あしなが奨学金第1期生の下村博文・文部科学大臣の強力なリーダーシップで与野党全党の国会議員が力をあわせ、極めて実効性の高い子どもの貧困対策法が制定される日が迫っている。
日本の子どもの貧困率は、15.7%で、326万人もの子どもが貧困にあえいでいる。その人数は増え続ける一方だ。この子たちを放置しておけば、大人になっても貧困から抜け出せず、社会を支える側にまわることができない。貧困の連鎖を断ち切らねばならない。子どもの貧困は、子どもにまったく責任はない。ならば、社会全体で子どもたちを支えねばならない。この認識が浸透し、法案の成立を後押しした。
法律制定運動の主役は、あしなが育英会大学奨学生だ。
緑川冬樹・遺児と母親の全国大会実行委員長(神田外語大学4年)は、4月のあしなが学生募金事務局長も兼務し、2月末から不眠不休で走り回った。朝日新聞『私の視点』への投稿、BSフジ「プライムニュース」の2時間生出演、そして5月31日には、衆議院厚生労働委員会で参考人として陳述した=写真=。学生が参考人として招致されるのは極めて異例だが、質疑で与野党の議員から高い評価を受けた。声を出せない多くの子どもや親たちの気持ちを深く思いながら堂々と発言した。
加藤正志・同副委員長(中京大学4年)は、3年前から名古屋で開かれた子どもの貧困に関するシンポジウムに出席するなど、子どもの貧困問題を自分の問題としてとらえ、行動してきた。500人が参加した5月18日の東京・代々木公園での市民集会には大型バス1台をチャーターし、50人の参加者を東海地区から連れてきた。各地の遺児学生からの信頼も厚い。
島田北斗・同副実行委員長(国士館大学3年)は、学生寮「あしなが心塾」のリーダーとして活躍した。春休み中は連日、あしなが事務所に通い、議員会館や報道機関などを駆け回った。「朗報を心から楽しみにしている」とバトンを緑川らに託し、4月からインドネシアに留学し、現地で奮闘している。
この3人のみならず、全国各地のあしながの学生が集会やデモの準備などさまざまな面で大汗をかいた。
交通遺児育英会職員から国会議員となり、いのちをかけて、がん対策基本法と自殺対策基本法を成立させた故山本孝史・参議院議員夫人のゆきさんは、市民集会に山本議員の遺影を持って大阪から駆けつけ、力強いエールを送った。
がん死や自殺者が減れば親を亡くす子どもも減る。自ら胸腺がんと闘いながら、7年前に2つの法律をつくり上げた山本議員の願いはかない、がんも自殺も死亡者数が減少している。
この2つの法津を手本にした3つ目の「あしなが法」が、子どもの貧困対策法だ。遺児だけでなく、すべての貧困世帯の子どもに光をあてる法律で、あしなが運動の集大成ともいえる。
4年前、初めて子どもの貧困率が発表され、子どもの貧困対策基本法制定をというあしなが学生の要望に真摯に耳を傾けてくださったのは、藤村修・前官房長官と下村大臣だった。そして、その当時から「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク(湯澤直美・立教大教授ら共同代表)の方々と連携し、相乗効果で運動が大きく膨らんだ。
5月31日の衆議院厚生労働委員会での法案採決で全委員が賛成の起立をした瞬間、傍聴していた緑川と加藤は声をあげて泣いた。
今年を「子どもの貧困対策元年」に、という彼らの悲願がかないつつある。「真に実効性を発揮するためにさらに運動を広げなければ…」。すでにその先を見据えている。