2013年2月17日(日)、第二次安倍晋三内閣に初入閣した下村博文文部科学大臣が東京都日野市にある“あしながこころ塾”で行われた第9回卒塾式に出席しました。
あしながこころ塾はあしなが育英会の奨学金を受けながら就学している遺児大学生、専門学校生が寮費月額1万円(朝夕食、光熱費など込み)で生活できる、会が運営する学生寮で、現在約100名が入寮しています。今年は2名の留学生を含む20人の学生が卒塾を迎えました。
自身も1963年、小学校3年生の時に交通事故で父親を亡くし遺児となった下村大臣は、玉井義臣あしなが育英会会長がその設立に尽力した交通遺児育英会(1969年設立)の第1期奨学生の一人でした。奨学金を受けながら群馬県立高崎高等学校から、早稲田大学教育学部に進学しました。卒業後、学生塾経営、東京都議会議員を経て衆議院議員となり、昨年12月、第二次安倍内閣発足時に文部科学大臣に就任しました。
大学1年生の時参加した「大学奨学生のつどい」で初めて会った玉井会長を“人生の節目における父であり、兄であり、心の師”として慕い、大臣に就任するまであしなが育英会の副会長を務めました。多忙なスケジュールにも関わらず、今回初めて卒塾式に出席してくれた下村大臣は来賓の祝辞の中で、「片親であったためいじめにもあった。一個の生卵を兄弟3人でしょうゆをたくさんかけて、それを分けてご飯を食べるということが毎日続いたような生活でした」と辛かった子供時代を振り返りました。
それでも、「交通事故で父が亡くならなかったら、普通の平凡な生活を送れていたら、政治家を志すことはありえなかったとい思います」と述べ、自分の負の体験が大きな財産になりうることを同じ遺児である塾生に語りました。さらに卒塾生には、「世の中を、あるいは今目の前にいる人を、幸せな楽しい気持ちにさせるような仕事をする、それが結果的にみなさんの幸せにもつながってくる。幸せに生きるということは、今目の前にあることに対してべストを尽くすということだと思います。」という言葉を、そして在塾生には、「心塾に入って、また、あしなが育英会の奨学生としての大きなチャンスと、可能性をもらっていることを自覚しながらがんばっていっていただきたいと思います」という言葉を贈りました。
祝辞の最後に「第一期生としてこれからが私にとっての人生の勝負だと思っています。到達点に達したわけではありません。これから自分の自己実現をぜひこの日本のなかで掲げていくように、先頭に立ってこれからもがんばりますから、ぜひみなさんにも頑張っていただきたい。」と文部科学大臣としてのこれからの自分の決意を述べました
前日に玉井会長から、祝辞の後に毛筆で卒塾生に送る言葉を書いてほしいと頼まれていた下村大臣は、書道家でもないしと、困った表情を見せながらも、文部科学大臣だから書けないと言うわけにもいかないし、と笑いながら筆をとり力強い書体で”意志あるところ必ず道あり“という言葉を書き上げました。その後、公務の都合で式の途中で退席せざるを得ませんでしたが、自らをあしなが育英会の長男と呼ぶ下村大臣の言葉は、卒塾生、在塾生一人一人の心に響きました。
卒塾式の3日後の2月20日の毎日新聞に、文部科学省が高校生を対象に返済の必要がない「給付型奨学金」を新設する方針を固めたという記事が掲載されました。下村大臣が毎日新聞の取材で明らかにしたもので、国の給付型の奨学金は高校、大学を通じて初の制度となり、低所得世帯を対象として、国が経済的にバックアップする形で高校生の修学を直接支援します。下村大臣は「高校授業無料化を廃止するのではなく、低所得家庭の進学を支援する厚い制度にしたい」と話しています。